自民党総裁選挙の討論会が盛んにおこなわれています。
投票権があるわけではなく、これ見たから何が変わるってわけではありませんが、頭空っぽで古ボスたちに操られる人だけには国を率いてほしくないという思いと、なにより面白いのでつい見てしまいます。
5人の面々、東大や一流大学や海外大学出の才人、才媛で、討論もなかなか聴き応えあります。
主催者によっては、考えを簡単にフリップボードに書けというのがあって、皆さん、それぞれのお考えを書いてくれています。で、その中身はともかくとして、その字、誰がうまくて誰が下手?
いやぁ、5人が5人とも、「親しみやすい」字を書いておられます。毛筆では別で、ペン書きでも公式の場では達筆でしたためられるのかもしれませんが。
「頭の良い人は字が下手(汚い)」という説を聞いたのは大学時代の恩師から。先生ご自身は「下手」じゃなかったと思いますが、あまりにも下手な、自分の名前すら満足に書けない私を勇気づけてくださったのかもしれません。
学生生活、長い社会人生活を通じて、下手な字になやまされました。ペン習字の本などを買い込んだりしたのですが、一向にうまくなりません。そして面白いことに、いえ、面白くないことに英文字を書いてもやはり下手。そのうちタイプライター、ワープロ、そしてパソコンの時代となり、手書きすることはほとんどなくなり救われたのですが、字がもう少しうまかったら稟議書なども説得力あり会社でも出世できたのにな、なんて振り返っています。
さて、恩師から授けられた「頭の良い人は字が下手」という説。俗説だとは思いますが、少しはホントなのかなと、AI(Perplexity, ChatGPT)に聞いてみました。
【その説の普及状況、真偽】
・この俗説事態は広くかたられている。
・教育現場では、例えば難関大学の合格者の中で「ノートが汚い」「本人しか読めない」といった事例がよく報告されており、教師や予備校関係者の間でも話題になっている。
・「数学・理科が得意な人ほど字が汚い」という観察もある。
・複数の心理・脳科学的な根拠や観察が指摘されているが、統計的な大規模研究は乏しく、傾向・現象として語られることが多い。
・ADHDやギフテッド(特定分野で突出した知能)の人々にも字が汚い傾向があるとする報告も見られる。
【考えられる要因、根拠】
・思考スピードが手の動きに追いつかないため、速く書こうとすると字が崩れる。
・視覚情報や抽象概念の処理能力が高いため、文字の見た目への意識が低くなりやすい。
・ワーキングメモリ(作業記憶)が強い人ほど、情報量が多く速く処理する傾向があり、字の整形への注意力が向きにくい。
・脳科学的には「大局的に全体像をとらえるタイプ」と「細部に注意するタイプ」があり、前者の人は全体を早く理解できる反面、細かいところ(字の形など)が疎かになりやすいと言われることもある。
・勉強や研究に多くの時間を割く人は、書道や丁寧な字の練習に時間をあまり使わなかった可能性もある。
・観察力・知覚特性の違いによって、字の読みやすさ・書きやすさに個人差が生じるという指摘もある。
【「頭の良い人は字が下手」という俗説が生まれた時代背景】
・明治~昭和初期、「読み書きそろばん」が重視されていた時代、字の上手さは「知性や教養の証」とされていた。
・そのため逆に「非常に頭が良いのに字が乱れている人」が目立ち、周囲に強い印象を与えた可能性があり「例外的な頭脳明晰さ」と「字の乱れ」が結びついて俗説化したと考えらる。
・有名な学者や研究者の直筆を見ると、意外に読みにくいものが少なくない。夏目漱石や寺田寅彦などを始め、戦前・戦後の物理学者や文学者の原稿などは走り書きが多く、それが「賢い人ほど字が乱れる」というイメージを補強した。
・戦後、日本社会は「効率・スピード」を重視する方向に進み、「内容が大事、字の美しさは二の次」という考えが広まり、頭の良い人が急いで書いた字の乱れを「知性の証」として捉える風潮ができた。
・欧米では「署名」以外は字の美しさを重視せず、速記やタイプライター文化が発達していた。これが日本に入ってきて「字が下手でも知的に評価される」という発想に拍車をかけた可能性がある。
以上のとおりです。
なにか、この「俗説」、全てに例外というものもありもちろん全てに当てはまるわけではありませんが、あたっているのかあたっていないのか、はっきりしませんね。
ひとつだけハッキリしていることは、人一倍下手な私が頭が良いう自覚はあまりないし、自分の中でも、年を経るにつれ頭脳が劣化しているのに比例して、字もますます汚くなってきたことだけは事実です。