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【MILK大川ひとみがFスナだけに話してくれたこと 第2話】「ミルク」と「ミルクボーイ」ができるまで

1990年代に店頭で販売していた雑誌「MILK BAR」の創刊号。左)小泉今日子、右)藤原ヒロシ

1990年代に店頭で販売していた雑誌「MILK BAR」の創刊号。左)小泉今日子、右)藤原ヒロシ

1990年代に店頭で販売していた雑誌「MILK BAR」の創刊号。左)小泉今日子、右)藤原ヒロシ
1970年のデビュー以来、国内のドメスティックブランドの礎を築き上げた「ミルク(MILK)」の大川ひとみ。今回FASHIONSNAP(Fスナ)では、日本のカルチャーを牽引してきた原宿を中心に、国内外で世代の異なる様々なクリエイターと交流を持ち、常に新しいストリートスタイルを提案してきた彼女に迫る短期連載をお届け。第2話は、「ミルク」と「ミルクボーイ(MILK BOY)」が生まれるまで。
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ー「ミルク」をなぜ原宿でスタートさせようと思ったんですか?
原宿という街が、素敵だったしかっこよかったんです。パワーも感じたし、外国そのものだと思いました。そういう事実を並べてみた時に「この場所で何かをすれば、絶対にかっこよくなるだろうな」と思っただけです。
ーそうは言っても、1970年代のヒッピーブームの中で、ロンドンのグランジスタイルを取り入れるようなアイテムを提案されるのは、当時とても型破りだったのではないでしょうか。
私にとっては好きなものだったから、型破りだと思ったことはないですよ。当時の私が「可愛い」と思うスタイリングは、太いパンタロンにぶりぶりのフリルが付いたブラウスを合わせたコーディネートだったけど、当時の日本にはそういう服がなかった。でも、どうしても私はその格好がしたかったから、自分で作るしかなかったんですよね。

開店当時のミルク
ー服を製作する上で「自分が着たい服を作ろう」という感覚が強い?
両方かな。さっきも言ったけど、裏方として「可愛い女の子のために、洋服を作ろう」という気持ちがあるので。例えば私は今、基本的に「ミルクボーイ(MILKBOY)」の服しか着ないから、私が個人的に着たいと思うデザイン要素も入れて作ったりもするけど、やっぱりビジネスだから。自分が着たいもの”だけ“作っても上手くはいかないですよね。
ーミルクボーイは、ミルクがデビューした4年後の1974年にデビューしていますが、それもきっかけは「自分がやりたいこと」だったから?
もちろんそうです。なんでも、まずは自分がやりたいか、やりたくないか。ミルク=キュートな服というイメージが定着してきた頃だったから、メンズの服も作りたいなと思ったんですよね。ミルクボーイをスタートしたら、デヴィット・ボウイ(David Bowie)やジョン・レノン(John Lennon)がお客さんとして足を運んでくれたんですよ。
あと昔からそうなんだけど、あんまり難しいことは考えないようにしているの。踊るように、風のようにビジネスができたらいいな、って。
ー自分のやりたいことに忠実でありながら、求められているものも取りこぼさない?
自分で、自分のことをそんなに分析している訳では無いけど、その場や世の中の空気に合わせて「これがいいな」と思いついてからの行動が早いのかもしれないですね。だって、アパレル業界ってすごいハードワークじゃないですか。シーズンに合わせて、3ヶ月に1回、毎回ゼロからのスタートが始まる。立ち止まってあれこれ考えている時間がないんです。
ー今も現役でブランドのクリエイションには携わっている?
もちろん!うちの会社は、ミルクチーム、ミルクボーイチーム、ランド バイ ミルクボーイの3チームに分かれていて。私もメンバーの1人として頑張っています。
【連載:MILK大川ひとみがFスナだけに話してくれたこと】
第1話「すべてを表現できる職業」
第2話「『ミルク』と『ミルクボーイ』ができるまで」
第3話「藤原ヒロシ、ジョニオ、NIGO®との出会い」
最終話「みんな心は16歳のまま」
(聞き手:古堅明日香)
最終更新日:
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