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「コム デ ギャルソン オム プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)」で約8年間パタンナーを務めた池田友彦が、2025年秋冬シーズンに立ち上げたブランド「べメルクング(bemerkung)」。“ギャルソン出身”という枕詞には常に人々の期待と注目が集まるが、中でも「衣服のパターンの構造、機能性を再解釈して作業的にデザインしていく」をテーマに、大量生産品のTシャツを解体・再構築することによって手掛けた同氏のファーストコレクションは、ひときわ異彩を放っていた。
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長年培ってきたパタンナーとしての高い技術力に裏打ちされた独自のクリエイションは、デビューから2シーズンにして早くも業界人や全国の服好きの心を惹きつけているが、一方でブランドやデザイナー自身についての詳細はいまだヴェールに包まれている。パタンナーになるまでの紆余曲折の道のりから、「贅沢で楽しい日々だった」と語るコム デ ギャルソン社時代、従来の手法に捉われない「べメルクング」の服作りの哲学まで、ブランドと池田の背景を訊ねた。
■池田友彦
滋賀県出身。ディーズファッション専門学校卒業後、パターン会社での経験を経て、コム デ ギャルソン社に入社。「コム デ ギャルソン オム プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)」で約8年間パタンナーを務めた後に退社し、2025年秋冬シーズンに自身のブランド「べメルクング(bemerkung)」を立ち上げた。
目次

2025年秋冬コレクション
Image by: bemerkung

2025年秋冬コレクション
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「あなたには無理」悔しさを胸にパタンナーを目指した20代前半
──「コム デ ギャルソン オム プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)」で約8年間パタンナーを務めた後、2025年秋冬シーズンにデビュー。まずは現在に至るまでの経歴を簡単に教えてください。
京都のディーズファッション専門学校*¹のデザイン科を卒業して、最初は大阪の縫製工場に就職したのですが、環境が合わずにすぐに退職してしまって。その後、進路を模索していたときに通い始めた大阪の古着屋で、自作の服を置いてもらえることになったんです。そこにたまたま来店した、地域で“先生”的な存在だった若杉豊*²先生が作品を見てアドバイスをくださって。それをきっかけに弟子入りして、約1年半基礎から技術を学びました。
その後、23~24歳の頃に上京して外注のパターン会社で約3年半働いた後、コム デ ギャルソン社(以下、ギャルソン)に入社しました。

*¹ ディーズファッション専門学校:大丸(現 大丸松坂屋)百貨店が1949年に設立し、J.フロント リテイリング傘下の学校法人 大丸クリエーターズアカデミーが運営していた服飾専門学校。2017年度入学生を最後に学生募集を停止し、2020年3月末に閉校した。
*² 若杉豊:大阪のマロニエファッションデザイン専門学校で28年間講師として勤務。2012年から9年間は同校校長を務め、2021年3月末に退任。自身のアトリエ「オスカー(OSCAR)」を手掛けている。
── 元々はパタンナー科ではなくデザイン科に通っていたんですね。
デザイナーを志してデザイン科に入学したものの、僕は絵が全然描けなくて(笑)。そんなとき、当時読んだ「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」のインタビューで川久保玲さんが「パターン=デザイン」と語っていたのを目にして、「これだ」と感じたんです。
途中からパタンナー科へ転科したかったのですが、当時の先生に「あなたには無理」と止められて実現できず、悶々としながらデザイン科に通い続けました。ただ、その悔しさやフラストレーションがあったからこそ、結果的に「絶対にパタンナーになってやる」と気持ちに火がつきましたね。
── パタンナーの技術はどのように学んだのでしょうか?
若杉先生に弟子入りしたときに、「実はパタンナーになりたい」という話をして。先生は服飾専門学校で教えながら自分のアトリエでオーダーを受けて服も作っていたので、僕はそのアシスタントのようなことをやりながら、パターンや縫製を教えてもらっていました。当時は縫った分しかお金をもらえなかったのでかなり切り詰めた生活を送っていましたが、専門学校時代よりもしっかりと、本当にさまざまなことを学ばせてもらいました。


── そもそもファッション自体に興味を持ったきっかけは?
一番最初は、小学生のときに自分が着ている服と比べて同級生が着ている服がちょっとおしゃれに見えて「何が違うんだろう?」「ファッションってなんだろう?」と思ったのがきっかけかもしれません。だから「ファッション=おしゃれ」として、着飾ることには割と早い段階から興味がありました。当時から京都の古着屋さんに通ったりしていましたね。
── その後、デザイナーやパタンナーを目指す中で影響を受けた存在は?
専門学生時代は、「ギャッププレス(gap PRESS)」などで海外のコレクションもいろいろと見ていたので、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)やジョン・ガリアーノ(John Galliano)に憧れていました。「作る」という観点では、コム デ ギャルソンや「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」、「クリストファー・ネメス(Christopher Nemeth)」にすごく影響を受けましたね。でも、圧倒的に影響を受けたのは、やはり若杉先生だと思います。
── 若杉先生は、池田さんにとってすごく大きな存在なんですね。
パターンや縫製といった技術的な部分はもちろん、考え方や教養的な部分も含め、本当にあらゆる面で影響を受けました。専門学校を卒業したばかりの頃の僕は、若かったこともあり変に尖っていたところがあったのですが、一度自信を全て打ち砕かれて。「勉強が全然足りない」「こんなことも知らないのか」と毎日言われて、「自分は今のままじゃだめだ」と思いました。

先生の影響で、フランツ・カフカや三島由紀夫など、それまではほとんど読んだことがなかった文学にも積極的に触れるようになって。特に、冒頭で主人公がいきなり毒虫になってしまうカフカの「変身」を初めて読んだときには、「なんだこれは」と大きな衝撃を受けましたね。
贅沢で楽しかった、ギャルソン社での日々
── 上京後は、ギャルソンで約8年間勤務。その経験は池田さんにとってどのようなものでしたか?
パターンとデザインだけを考えることができる、とても贅沢で楽しい日々でした。日々川久保さんとやりとりをする中で、いろいろなことを考えさせてもらえたりチャレンジさせてもらえたりする、刺激的な環境でしたね。独立した今は、多くのことを自分一人でやらなければいけないので、尚更そう感じています。
── 川久保さんと一緒に仕事をする機会は多くあったのでしょうか?
コレクション制作中はトワルチェック*があるので、部屋にボディをずらっと並べて、川久保さんが毎回それを見てチェックしていました。自分が作ったものは自分で説明するのですが、長く話すと「何言ってるの?」という感じになってしまうので、端的に要点だけを伝えることが重要で。でも、それは大事なことだと今でも思っています。デザインも説明も、ごちゃごちゃすると人に伝わりにくい。だから、「端的でわかりやすいことを意識する」という感覚はずっと持ち続けています。

*トワルチェック:デザインした洋服を実際に仕立てる前に、型紙を仮の生地(シーチングなど)に起こし、立体的なボディに着せてデザインやサイズ、バランスなどを確認する作業。
── 当時の学びが今のご自身の考え方にも繋がっているんですね。そのほかに、印象に残っている川久保さんとのエピソードがあれば教えてください。
コロナ禍でしばらくパリでの発表を休止し、久々にショーを開催して帰国した直後に、僕以外のチーム全員が次々とコロナに罹ってしまったことがあって。国内の展示会を前に、最終的に僕一人だけが残ったんです。そのとき、展示会の打ち合わせで川久保さんを呼んだら、たった一人で立っている僕の姿がツボに入ったのか、ものすごく笑われたことがありました(笑)。
とはいえ、ひとりでなんとか展示会をやり切れたことで見られ方が少し変わった実感があり、以前より意識して目を向けてもらえるようになったと思います。

── ギャルソンで充実した日々を過ごしていた中で、「自分のブランドをやりたい」と思い始めたきっかけは?
ギャルソンに入社する時点では、若い頃に抱いていた「自分のブランドをやりたい」という気持ちは一旦脇に置こうと決めていて。入社後も、制作環境や待遇に不満はなかったので、仕事自体はとても楽しかったんです。
ただ、長く会社で働くうちに、会社のやり方やテイストではなく「自分の表現をしたい」という思いが1〜2年ほど前から少しずつ芽生えてきて。40歳手前というタイミングも後押しになり、挑戦するなら今だと考えて退職を決意しました。
── その時点では、ギャルソンを辞めても自分でブランドをやっていけそうだという自信やスキルがついていた?
パタンナーで生計は立てていけると思ったので、「やってみても大丈夫かな」と考えていました。辞めるときは川久保さんから「大丈夫?」とすごく心配されたのですが、「大丈夫です」と今後の計画を説明して(笑)。満に退社したので、今でもギャルソンのみなさんとは交流がありますし、展示会にも来てくれています。
「みんなと同じようなことをやっても意味がない」
── ブランド名の「bemerkung」は、「注釈」を意味するドイツ語。日本ではなかなか耳馴染みのない言葉ですが、この言葉を選んだ理由を教えてください。
ブランド立ち上げ時に、少しパーソナルな由来を持つ名前にしたいと思い、強く影響を受けたドイツの作家 フランツ・カフカから発想を広げました。「注釈」は、読むことでさらに意味を読み解いていけるもの。服作りに関しても同じ姿勢で向き合っているので、「手に取ってくださった方にも服から何かを感じ取り、解釈してもらえたら」という思いを込めて名付けました。
── ブランドコンセプトは、「衣服のパターンの構造、機能性を再解釈して作業的にデザインしていく」。シーズンごとにコンセプトやインスピレーション源などを持たず、「従来のコレクション作りの手法ではないやり方でものを生み出す」というアプローチが印象的です。


自分でブランドを始めるにあたって、「みんなと同じようなことをやって意味があるのか?」と疑問に思ったんです。「何かをインスピレーション源にして服を作り、展示会場に並べ、ルック写真を壁に貼る」ということをやってもつまらないなと。そこで、自分だったら何ができるかと考えた結果、現在のコレクションの作り方になりました。
キャリアがあるほど従来の手法を踏襲してしまいがちですが、それでは意味がない。全てにおいて「本当にこれでいいのか」「別の方法はないのか」ということを考えながら、一つひとつ自分で再解釈してアウトプットすることを目指しました。
── 結果として、デビューシーズンの2025年秋冬は、大量生産品の「Tシャツ」のみを用いて解体・再構築して作り上げたコレクションでしたね。
身近なものからデザインできるのが一番良いのではないかと考え、最も普遍的な「Tシャツ」に行き着きました。「自分で手を動かして服を作りたい」という思いもあったので、解体・再構築する手法を選んでいます。
素材に関しても、一般的な「生地を買って作る」という方法から意図的に外れることで、最終的な服の見え方を変えることができるのではないかと思ったんです。

2025年秋冬コレクション
Image by: bemerkung

2025年秋冬コレクション
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── ユニークなデザインのアイテムが多いですが、デザインする上でこだわっている点や大切にしている点は?
着る人が少しでも「服」というものに向き合えるような、買った後に楽しんでもらえるような服作りをしたいという思いが根底にあります。だから、パターンや構造、素材など細かい部分にまで気を遣って服を作っていますし、見たり着たりすることで何かを感じたり考えたりできる「余白」や「違和感」のあるデザインにすることを心掛けています。
── 実際にファーストコレクションを製作・発表してみて、手応えは?
展示会時に製作過程がわかるようなインスタレーションを行ったことで、服の背景にある意図やブランドのデザイン哲学をきちんと伝えられた実感がありました。バイヤーの方々には、「何これ面白い」とほぼ全アイテムを試着していただけたり、「こういう服を見てファッションを好きになったという原点を思い出した」といった声をもらったりと、良い反応をいただくことができました。

2025年秋冬コレクション展示会のインスタレーション
ただ、チャレンジングなデザインのアイテムも多かったので、アプローチとしては評価してもらえた一方で、デザイン性と着やすさのバランスや落とし込み方には、少し課題や難しさも感じました。
── 良い反応をもらえたとのことですが、実際に取り扱いが決まった卸先は?
「ガーデン渋谷(GARDEN SHIBUYA)」と、「エルエイチピー(LHP)」の原宿・名古屋・大阪、下北沢の「シーシーエックス(CCX)」、大阪の「テフ(tex)」、「デルタ(DELTA)」です。
── デルタでは一般向けの受注会も開催していましたよね。
受注会には、ギャルソン好きや服好きの方が多く来店してくださったようです。僕も2日間店頭に立って接客をしたのですが、服を見に来てくれた方たちの嗜好や考えを知ることができて、とても楽しく有意義な時間でした。
セカンドコレクションの受注会時には、わざわざ四国から夜行バスで来て、同じジャケットの色違いを含めてたくさん買って帰ってくださった方もいたようで。「都内の店を回って買い物しようと思っていたのに他ではあまりピンとくるものがなかったけど、この受注会はすごくよかった」とお客様が話していたことをデルタのスタッフの方から聞いて、すごく嬉しかったですね。

── それは嬉しいですね。現在は一人でブランドを運営されていますが、今後の展望や目標を教えてください。
まずはプロダクトの強化とクオリティの維持が大切だと思っているので、土台を固めた上で、将来的にはいろいろなことにチャレンジしていきたいです。もちろん「いつか店を出したい」「パリでショーをやりたい」といった気持ちもありますが、それを“目標”にするのは少し違うと感じていて。ブランドをやっていく中で、「結果として実現できた」というのが理想。まずは展示会と実店舗でのポップアップを中心に地道に展開していく予定です。
── 国内だけでなく、将来的には海外展開も視野に入れていますか?
そういった思いはありますが、まずは国内での展開を強化し、土台を固めたいです。ただ、闇雲に広げたいとは考えていないので、良いバイヤーさんやお店との出会いを大切にしながら、卸先を増やしていく方針です。
── 「Tシャツ」、「シャツ」と1アイテムに焦点を当てたコレクション製作が特徴的ですが、今後の方向性は?
自分の中では既に決まっているのですが、現時点ではまだ言えません。ただ、今の作り方は第1フェーズなので、もう数シーズンは同じ方向性で続けた上で、徐々に違うアプローチにも挑戦するつもりです。
ファーストコレクションとセカンドコレクションは基本的には同じアプローチですが、素材や加工などで少しずつ変化はさせていて。ファーストでは完全に大量生産品のTシャツだけを使って製作しましたが、セカンドでは買った生地や既製品のシャツ、古着のシャツなどを組み合わせて使っています。根底には「服に真摯に向き合って作りたい」という思いがあるので、そういったものづくりをずっと続けていきたいですね。

2026年春夏コレクション
Image by: bemerkung

2026年春夏コレクション
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“早すぎるスピード”に乗らないものづくりを
── 少し抽象的な質問になりますが、ずばり池田さんにとっての「ファッション」とは?
僕としてはあまり小難しいことは考えずに、シンプルに「ファッション=おしゃれ」でいいのではないかと思っています。着て楽しんで、それで毎日穏やかな生活を送れることが一番大切だと思いますし、それに寄り添えるものがファッションなのかなと。

── 近年は「サステナビリティ」がデザインやブランドには不可欠になりつつあります。それについてはどのような考えを持っていますか?
「サステナブルな素材を使えばサステナブル」というのは、個人的には違うように感じていて。自分としては、「長く着られる服を作ること」がサステナブルなのではないかと考えています。
もちろん、ファーストシーズンで大量生産品のTシャツを素材として使ったことを「サステナビリティ」の文脈で捉えることもできますが、別にそれを謳いたいわけではない。サステナビリティだけを考えるなら極論は「服なんて作らなければいい」という話になってしまうと思うのですが、現実的に考えるとしたら、各々の向き合い方や考え方が大切なのではないでしょうか。
── 服もブランドも溢れている今の時代。それでもデザイナーとして服を作りたいと思う理由は?
今はブランドや服は多いですが、それはただ消費されているだけの服でしかなく、欲望を掻き立てるような、ワクワクする服ってあまりないと感じていて。だからべメルクングでは、人の心を高揚させるような服を作っていきたいと考えています。

── ちなみに、ファッションデザインの役割とは何だと思いますか?
デザインに思想を載せる人もいれば、コミュニティを作るためにファッションデザインをやっている人もいたりと、人それぞれだと思います。
僕としては、ファッションデザインはプロダクトをベースに感情や価値観、文化などを繋いでいってくれるものだと捉えていて。例えば、着ている服をきっかけに会話やコミュニケーションが生まれたり、そこからコミュニティが広がっていったりもしますよね。だから、ファッションデザインとは異なる世界や文化、人々を繋ぐきっかけを作れるものだと考えています。
── 最後に、ファッション業界を含めた社会全般に関して、池田さんが不満や違和感を抱いている点があれば教えてください。
SNSをはじめ、ものごとが消費されるスピードが早すぎることには違和感を抱いています。だから、自分としてはそのスピード感に合わせるのではなく、一つひとつしっかりと感じてもらえるような、“スピード感に乗らないものづくり”をしていきたいですし、自分自身もそうでありたいと思っています。みんな、少しずついろんなことに疑問を持って行動していけたらいいですよね。
ブランドに関しても、早いスピードで規模を大きくすることは考えていません。少しずつ価値観を共有できる人たちと出会いながら、ブランドを好きになってくれたり、協力してくれる人たちの輪を広げていけたら嬉しいです。

photography : Hikaru Nagumo(FASHIONSNAP)
最終更新日:
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