「たましひの鞘」に収めるべき光景掬い上げ 山中智恵子生誕100年

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うたをよむ 井上法子

歌壇俳壇面のコラム「うたをよむ」。今回は歌人の井上法子さんが生誕100年を迎えた山中智恵子の作品を3首取り上げ、その魅力に迫ります。

 今年は山中智恵子の生誕百年にあたる。近年では水原紫苑編『山中智恵子歌集』の刊行や、角川短歌五月号の特集など、歌業の再読に光が射(さ)し込んでいる。

 水原は「韻律に乗せて人間存在を問うことを究極まで成し遂げたほとんど唯一の人」と山中を評している。

 行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ

『みずかありなむ』

 苦悩や痛み、悲哀や歓(よろこ)び、そうした人として背負う機微は、実は一見して「わからない」ところに宿るのではないか。山中の歌を読むと、そう強く感じる。

 いづくより生れ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘 『紡錘』

 静謐(せいひつ)な時空で「雪」を見据え、その「生(うま)れ」る一瞬を読み手に差し出している。鋭く煌(きら)めく「たましひ」が、鮮やかに弧を描いて、「鞘(さや)」に収まる様子を想像する。それ以外の何ものをも招き入れず、そこでしか耳にできない、金属のささやかに触れ合う音。まるでそれは、この歌を読んだときに耳に残る、美しい響きのようだ。あらゆるものと向き合い、その機微を逃さない「たましひ」の「鞘」。わたしにとってそれは、短歌というこの詩型かもしれない、とすら思う。

 さくらばな陽に泡立つを目守…

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