平城宮跡に「東楼」現る 高さ30メートルの巨大屋根、ゆっくり移動

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神田剛 今井邦彦
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 奈良市平城宮跡で24日、奈良時代の姿を想定して復元した第1次大極殿院の東楼がお目見えした。覆っていた工事用の建屋(素屋根)が油圧ジャッキでゆっくりレール上を動き、約4時間かけて約40メートル西へ移動。朱塗りの建物が姿を現した。

 第1次大極殿院は、710年に元明天皇によって造られた平城京の中枢。当時の東楼は730年ごろ、南門(大極門)の傍らに建てられたと考えられている。

 今回施工にあたった竹中工務店の担当者によると、東楼は高さ約18メートル。外側には奈良や和歌山産のヒノキを使った長さ12メートルの柱16本を使っている。

 高さ約30メートル、幅約50メートルで約665トンある素屋根は、南門をまたぐ形でいったん移動を休止。29日にさらに西へ約40メートル動き、西楼を建築するための覆いとなる。

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この記事を書いた人
神田剛
生駒支局長
専門・関心分野
近代の建築や歴史など
今井邦彦
専門記者|歴史・文化財
専門・関心分野
歴史、考古学、文化財、サブカルチャー