今年75冊目読了。旅行作家の筆者が、何日もかけて走破する列車を文字通り乗りつぶすという紀行文集。
自分も、海外の寝台列車は何回か乗ったことがあるが、それにしてもこれはすごい。
筆者が、長距離列車の旅について「そこには、時間単位で仕事をこなす生活とは無縁の、太陽が東から西に動いていることだけが車窓風景からわかる旅が待っている。長距離列車の旅というものは、乗ってしまえば気が遠くなるほど暇だ」「アスリートが厳しいトレーニングに自分を追い込んでいくのは、めざす記録や、そこに寄り添ってくる表彰台やメダルの色という見返りがあるからなのだろうが、列車旅を書く旅行作家にはどれほどの代償があるのだろうか。その旅を酔狂と嗤うことができるのは、体と心に余裕があるときに限られる」と書くのは、その片鱗を味わっただけでも共感。実際にこれをやり遂げるのは、相当なことだ。
インドについては「インドでは、悪い予感はだいたい当たる」「インドの列車の切符は、キャンセル料がかかる時期が遅い。そこで業者や個人が次々に予約を入れる。そして直前に、業者は販売できなかった予約を手放し、日程が合わなくなった乗客はキャンセルする」「ビザ代を払うための両替なのだが、ビザがないと両替できない…それがまかり通ってしまうのもインドだった。ここは下腹に力を入れて交渉しなくてはならない。またその抗議をまじめに聞くのもインドだった」「インドの駅は改札がない。本来は乗ることができないウェイティングリスト組も乗車は可能だ。それを排除するのは車掌の役割なのだが、彼らはそれをしなかった。それがインドの優しさなのだろうか。膨大な人口を列車で移動させるインドしき対処術というべきなのか」「旅がつらくなるほど、甘い紅茶がおいしくなる。紅茶の味が変わったわけではない。トラブルが続き、紅茶にしか救いが見つからなくなってくるのだ」「人々の鉄道依存度という数量化が難しい評価になると、やはりインド。僕はそんなイメージをもっている」。
中国については「窓口の職員の顔には『没有』というスイッチが組み込まれているかのように、その一瞬から表情が消えるのだ。こうなると、どれだけ粘っても無駄だった」「乗客たちは、互いに言葉を交わすことを避けている空気が気になった。いまの中国は、そこまでいってしまったのか。あまりに静かな車内で悩むのだった」「急速な経済成長のなか、列車をとり巻く環境はずいぶんよくなった。切符も混み合う時期を除けば、簡単に買うことができるようになった。中国の長距離列車旅を考えたとき、硬臥が最もリーズナブルという気がする。というより、軟座、軟臥が減ってきている。理由は中国の新幹線と飛行機である」。
ロシアについては「シベリア鉄道の車内や駅の時刻はモスクワ時間に統一されている。モスクワ時刻と現地の時刻。いつもふたつの時刻を頭に入れていなくてはならない」「シベリアでは、四百キロは距離ではない。マイナス四十度は寒さではない。プラス四十度は暑さではない。ウォッカ四本は酒ではない」「ロシア人は旅先でもホテルで部屋食が普通ですよ。店が少ないですから」「冬にはマイナス十度以下になる気温を基準に、シベリアの料理はセッティングされているのだろう。その味は、アジアの料理に比べると、とろけるほどに優しい。日本人好みでもある。しかし腐りやすいのだ」「雪には吸音効果がある。結晶の隙間に波である音が吸収されてしまうのだ。その世界を列車は延々と走り続けた」。
カナダについては「カナダやアメリカで、年をとっても働くアジア人を目にすると、なぜか寡黙になる。彼らが不幸というわけではないのだが、どこかその背中が寂しそうなのだ」「荷物の盗難に遭ったり、届かないというとき、目に映る風景が鮮やかになる。荷物がないという心細いほどの身軽さは、視神経を鋭利にさせるのだろうか」「カナダの鉄道の総延長は5万キロ弱。日本のJRの2.5倍近い距離がある。広い国土の証でもあるが、その需要の多くは貨物。カナダの鉄道は、人を乗せるより物を運ぶインフラの色が強い」。
アメリカについては「アメリカの列車は、僕らが親しむ鉄道というものとは少し違う進化系のなかに置かれている気がする。世界の多くの国の鉄道は国営という形でスタートする。しかしアメリカの鉄道はすべて私鉄である。ユニオン駅と呼ばれるのもそのためだった。私鉄各社が出資し、共同で使うからユニオンなのだ」「世界の多くの国の寝台列車は、長距離の旅を快適にすごすという需要から生まれた。しかしアメリカは、危険で列車から降りることができないために、食事がつく列車が誕生する」「百五十キロ、いや二百キロ近い体重にまで太ってしまった人たちは、鉄道にすがるようにして国内を移動するしかない。切ないことだった」「中国、そしてロシア。僕らはカップ麺とパンで空腹をしのいできた。炭水化物ばかりで、栄養バランスなどどこにも入り込めない食事だったが、それでも停車駅のホームや駅前のスーパーでは、野菜がたっぷり入った料理で補うことができた。しかしアメリカにはそれがなかった。売店に置かれているジャンクフードのどこを探しても、野菜の存在が見つからない」。
そして、なんだかんだと言っても、筆者が「夜行寝台は最高のバーだと思っている。ニューヨークやロンドンの名だたるバーも足許に及ばないと思う。バーテンダーの姿もなく、きりっと硬い氷があるわけではないが、動く車窓風景を眺めながらの酒は贅沢だと思う。軽快なジャズの響きより、車輪の音のほうが心地いい」と、その苦行のような旅を称賛するところが面白いし、自分自身も納得する。今や日本では絶滅危惧種となった夜行列車。これを読んだら、海外に行きたくなった。