今年80冊目読了。栄養管理士の筆者が、東海道を実際に21日間歩いて、健脚を支える健康食のヒミツを考察する一冊。
20泊21日の500キロ徒歩旅行というところがまず凄い。そして、宿も「民宿系」に徹し、いわゆる「観光旅館」をとことん避けるところがまた面白い。
筆者が、旅について「旅のよさは、これからどんな出会いが待っているのか、見るもの、聞くもの、触れるもの、味わうもの、嗅ぐものをはじめとする『五感』への期待、わくわくする気持ちに尽きる」というのは、旅好きとして全く共感できる。
知らなかった知識ということでは「江戸前の海苔を浅草で『浅草海苔』として販売し、そこからおにぎりにのりを巻くことが始まり、それが全国に普及する」「たくさんとれたものを、いかに年間を通して食べ繋ぐかが最大の課題だった。保存料や防腐剤のない時代の方法、そこに、その地方の『食の知恵』が残っている」「大根は『おろす』が、とろろは『する』。大根おろしは、大根の細胞をはがすようにさっさっとおろす。一方、自然薯の場合は、すり鉢に押し付けるようにじっくりすることで、空気を抱き込み、ふわっとすることができる」「お茶はもともと薬。その名残だろう、お茶を飲むことを『一服』という」「鈴鹿峠を超えてから、豆味噌文化から再び米味噌文化に変わっていた」のあたり。言われてみれば確かに…不勉強を恥じるばかり。
また、実際に歩くという行為をしたが故の気づきだろうなぁ、と思ったのは「江戸の旅人はみんな、日の出前の暗いうちに小田原を出発しなければ、三島宿には着くことができないことを知っていた。だから小田原提灯が開発され、たくさんの需要があり、有名になった」「現在の私たちには想像しづらいことだが、箱根を『越す』ということは、未知の外国に行くというくらいの感覚だった」「今回の徒歩旅行では、トンネルを歩くことはめったになかった。逆に、橋をどれほど渡ったか。太平洋側はそれだけ平野が多く、水が豊富ということがわかる。だから人口が集まり、東海道が作られ、大きな都市がいくつも発展してきた」「東海道を歩く人は、鈴鹿峠をどう越すかで前後の日程を決めている」という記述。こんな観点で東海道を見たことはなかった。
さらに、筆者は長距離歩行で「これだけ歩いていると、いろいろな『具』が入ったおにぎりを食べたいとは思わなくなる。現代を生きる私たちは、あまりにも体を使わなくなっているので、空腹になった『胃袋』ではなく『目』で食べるようになっている」「歩くとき、『時計』と『道路標識』をどれだけ頭から消せるかが、疲労を減らすためのポイント」のあたりにも気づく。これは持たない視点だ…
それを食に寄せると「かぎられた料理で何倍もご飯を食べようとすると、温かい汁物が本当に美味しいと感じる」「生きるうえで本当に大切なものは、飽きるということがない。なるべく控えたほうがよいと思うものほど、飽きる。そう考えると『飽きる』というのは、体が発する大切な信号」という気づきに繋がるんだろうな。
なかなか面白い紀行文というだけでなく、筆者ゃの総括「地方の食文化が消えつつあることを再認識したが、毎日食べる『基本食』というべき主食や汁物、漬物、常備食、調味料やお茶などにはまだ、地方の『食』が残っていた」「現代社会は『体』の声を聞かずに、『情報』の食べ過ぎになっているだけ」「『引きまわされるだけの旅行』だと、五感の働きが希薄になり、『味覚』にばかり集中することに繋がっている」は、今の日本にこそ問われていることなのかもしれない。2013年の本だが、そんなことを考えさせられた。