幸せに形を与えるとしたら、という主題は腐るほど語り尽くされていて、ということは形などないということが推察されるわけです。
ということは、たぶんどんな形を私が与えたとしても問題ないというわけで、今の私にとってそれは、ピンク色の雲といったところでしょうか。
インドに来て、1年が経とうとしています。
たまに、昼食を注文して待っている時にしみじみと、インドにいるんだなぁ、と思うことがあります。
面接に落ち続け、早く来たいと思っていた私に、大丈夫だよって教えてあげたい。それから、よく自分を貫いたねって。
一年前からすると、今は想像もつかなかったことばかりで、私の考える以上の可能性がこの世界には広がっていることに新鮮に驚きます。
失った人のことを考えるのは今でもまだやめられないけれど、これからも出会う人がいて、その人を今の私は知らないんだっていう事実は、私を強くしてくれる。
すべてが大丈夫な方向に向かわなくても、持っている鍵は想像もしなかった扉に合致することがあるから、だから、私には生きていることを時には肯定できる瞬間があるのだと思います。
一年前の私へ。私の誕生日を祝ってくれる人がいるよ。嬉しいね。
私のことを大事に思ってくれる人がいるよ。ありがたいね。
一年前には知らなかった人たち。それでも、愛している人たち。愛していたけど、去っていった人たち。私から去ってしまった人たち。
知らなかった場所。知らなかった風景。知らなかった味。
生きて在ることは、死ぬまでに知らなかったことを一つでも多く知っていく過程のことで、でもたぶん、それすらいずれひっくり返されるのだろうとなんとなく思いながら、歩いています。