先週末はずっと前にバイトをしていた居酒屋時代のメンツとの飲み会だった。どれくらい前かといえば20年以上前である。働いていた期間なんてそう長くはなかったけど、これほどの時間が経ってもまだ繋がっていられることに尊みを禁じ得ない。
参加者の事情も勘案され、舞台は川越。遠い。というか真っ先によぎったのが帰りの不安であった。存分に飲酒をした状態で彼の地から都内に戻ってくるとなると終電の早さは去ることながら、その道中の時間もそれなりのものだ。その間に眠りこける未来が容易に想像できた。これは危ない。そんなん言うなら飲酒量を気をつけなはれやというだけの話であるのだけど、久々に集う20年来のメンツを前にそんな薄情なことができるだろうか。いやできない。(反語)
結果として、帰りは単独で電車に乗らずに済んだのでカタストロフィは避けられた。でも5年前だったら危なかったかもしれない。そんな酒リテラシーでやらさせてもろてます。
話を戻して酒宴前。この日は18時集合となっていたのだけど、参加者それぞれが少しずつ遅れるとの由。持て余した時間をどう過ごそうかと考えた結果、せっかく川越というド観光地にきていることだし、さっくりと観光でもするかと歩き始めたところでふと思う。
「本川越駅って出口ふたつあるけど、いつも出る観光地へと続く出口じゃない方ってどんな感じなんろう?」
ふだんは何も考えず東口、いわゆる観光口へ向かうけど、逆側の出口って見向きもしたことがなかった。こういうときでないと見ることもないし西口へと向かってみることに。
西口を出た眼前に広がるのは清々しいまでの”じゃない方”ビュー。こんな川越の一面があるだなんて知る由もなかったし、考えもしなかった。何もないということにこれほど感動できるとは。
いやあ、これはいよいよ何もないのではと歩き始めたところ、駅前の賑やかさというのはあまりないながらもちょこちょこ飲み屋があることを観測。到底繁華街とはいえないまでも、思いのほか数がある。そしてそのどれもがけっこう賑わいを見せており、何よりひとが多い。この歩いた先に川越市駅があるというのはなんとなく知ってはいたけど、往来と呼べるほどのひと通りがあることが何よりも意外だった。
”じゃない方”なんて言っているのは僕がよそ者だからであって、ここに当たり前にひとの生活があるだけといえばそれまでなのだけど、観光地としか思えてなかった川越に生活の温度を感じた瞬間であった。
ほどよく歩いたところで参加者からの到着連絡。合流し会場へ。ばらつきはありながらも徐々に全員集まって酒宴が本格的にスタートした。前述の通り20年以上前のバイト先のメンツなわけで、その頃は20代前半である。20代前半なんてほぼ前世だ。今回会うのもだいぶ久しぶりでぎくしゃくすることもあるかなと思われたが、それは杞憂に終わった。
あの頃と同じ、とまでは行かないけれど、会うことのなかった時間をあまり感じさせない盛り上がりとなった。「あまり」と書いたのはみんなお酒の飲み方を警戒していたからである。各自のやらかし歴をうかがわせ、みんな成長しているんだなと思わせてくれるのであった。
冒頭の通り遠征してきているので早めの終電。この終電だけは死守せねばとだいぶ余裕をもってお店を出て、同じ方向に帰る勢と他愛のない話をしながら帰路についた。おかげで寝落ちせずにばっちりである。
警戒の甲斐あって寝る前まで記憶ばっちり。会の楽しさを考えたら紫綬褒章ものの快挙であった。久々の遠方飲みで自分のデッドライン(酒)を少し把握できたような気がするので、今後は家の近くで飲むときもそれを意識しおていきたい。