【幸せは求めるな、感じろ❗️】
幸せは求めて手に入れるものではなくて、
感じるものです。
これについて、
の中に、こう書いてあります。
「あるとき、
『あれ欲しい、これ欲しいというものを何十項目かけますか』
と言って書かせたことがあります。
そうしたら、
二十個書いた人がいる、
三十個書いた人がいる、
四十個書いた人もいました。
その人たちに向かって、
私はこう言いました。
『同じ項目数だけ、自分がすでに頂いていて、恵まれていると思うものを書いてみてください』
同じ項目数だけ書けた人は、
一人もいませんでした。
次に、
別のグループにこう言いました。
『自分がすでに頂いていて、恵まれていると思うものを書き上げてみてください』と。
そうしたら、
二十項目書けた人がいて、
三十書けた人が、
四十書けた人がいました。
『では同じ項目数だけ、これから欲しいもの、足りないもの、手に入れたいものを書いてみてください』
同じ項目数だけ書けた人は、
一人もいませんでした。
どうしてでしょう?
多分こういうことです。
世の中には、
足りないものだけを見て生活をしている人がいます。
その一方に、
自分がどれほどたくさんのものをいただいているかということだけを見て生きている人もいます。
この人たちは住んでいる世界が違います。
だから、
足りないものだけを見ている人に
『足りているものを同じ項目数だけ書いて』
と言っても書けないし、
すでに手に入ったもの、
足りているものだけを見ている人に
『足りないものを同じ項目数だけ書いて』
と言っても書けないのです。
夢や希望に満ちているというのは、
あれが足りない、
これが足りない、
あれが欲しい、
これが欲しい、
まだまだ寄こせ、
もっともっと寄こせ、
と言っているのと同じではないでしょうか。
たとえば目が見えることは、
皆さん当たり前だと思っていますけれど、
世の中には目の見えない人もたくさんいます。
その目の見えない人と話をしたことがありますけれど、
その人は
『自分の妻の顔を一秒でいいからみたい。一秒がだめなら百分の一秒でもいいから、それがだめなら一万分の一秒でもいいから見てみたい』
と言っていました。
あるいは
『自分の子供の顔を死ぬまでに一瞬でいいから見てみたい』
『自分を生んでくれた親の顔を一瞬でもいいから見てみたい』と。
でも、見ることができない。
同じように、
耳が聞こえない人は、
一回でもいいから音というものがどういうものなのかを聞きたいと思っているのです。
でもその音を聞くことはできない。
『春の小川はさらさらいくよ』という『さらさら』という川の水の音がどんな音なのか、
波の砕けるバチャーンバチャーンという音、
ジャブジャブという音も聞いてみたいけれど、
聞けないまま死んでいく人もいます。
私たちは、
一度も目が見えなくなったことがないのに、
目が見えることに一度も感謝をしたことがない。
そうではありませんか?
そして口から出る言葉は、
『あれを寄こせ、これを寄こせ』
『もっともっと』
『あれも足りないじゃないか、これも足りないじゃないか』―――。
足りないことを一所懸命書き上げて、
それを手に入れることが夢や希望になって、
その夢や希望を実現することが幸せだと教わってきたのです。
本当の幸せというのは、
手に入っていないものを挙げ連ねることではなくて、
自分がどれほど恵まれているかに気がつくことなのではないだろうか。
それが『東洋の幸せ論』。
(中略)
目が見えることも幸せ、
耳が聞こえることも幸せ、
食べられることも幸せ、
呼吸ができることも幸せ、
話せることも幸せ、
右手の親指が使えることも幸せ、
人差し指が使えることも、
中指が使えることも、
薬指が使えることも、
小指が使えることも⋯⋯というふうに数えていったら、
それだけで二百ぐらいはすぐ挙がるでしょう。
それにプラス、
Aさんと友人であることが幸せ。
これで一つ幸せが増えませんか?
Bさんと友人であることが幸せ。
これで、幸せが二つ増えましたね。
Cさんと友人である。
幸せが三つ増えました。
今度は自分の友人であるAさんとBさんが仲良しであるというだけで、
幸せが一つ増えませんか?
BさんとCさんが仲良しである。
これでまた一つ。
AさんとCさんが仲良し。
また一つ増えました。
幸せというのは、
数える技術が身について初めて目茶苦茶に増えるものなのです。
幸せは、
“見る目” というものが身につかない限り、
永久に数えられません。
幸せというのは向こうから勝手にやってくるものではありません。
すでに自分を山ほど取り囲んでいるもの。
それにどれほど気がつくか、
というだけのこと。
もう一回言います。
足りないものを挙げ連ねて、
これが来たら幸せ、
これが手に入ったら幸せ、
夢や希望が叶ったら幸せと言っている幸せ論は、
宇宙的な本当の幸せ論とは違うみたいです。
本当の幸せとは、
自分がどれほどの幸せに囲まれているかに気がつき、
その幸せを数える方法論に気がつき、
日々どれほど幸せなのかを、
これも幸せ、
あれも幸せ、
多分幸せ、
きっと幸せって数え上げてみることによって増えていくものなのです。
幸せを数える技術、
幸せに気がつく技術というのを自分で広げていくと、
実は私たちはものすごい幸せの中に住み暮らしていることに気がつきます。
そして、
その根源になっているものが感謝の心、
『ありがとう』という感覚なのです。
私の目の前に笑顔の友人がいてくれる、
当たり前ですか?
当たり前じゃないですよね。
ぶっきらぼうの人がいても、おかしくはないのです。
仏頂面の人がいても、おかしくない。
そういう場合もあるのに、
普通の人が普通の顔で、
非常に温かく、
安らぎを感じるような笑顔でいてくれるだけで、
『ああ、幸せ』
と思えるのではないですか。
本当の幸せとは、
どこかに探しに行くものではなくて、
自分の周りに幸せが満ちていることに気がつくこと。
そして、
その根源にあるのは、
何かを要求する心ではなくて、
『ありがとう』と感謝する心なんですね。
そんなに感謝することなんかないという人。
そういう人は、
感謝の心がなくてもいいから、
とりあえず『ありがとう』を何百回、
何千回、何万回と言ってみてください。
そうすると、
自分がとれほど恵まれているかということに、
本当に心の底から気がつきます。
気づいたときには猛烈な涙が出ますが、
その涙が出たあとは、
一つひとつ、
一人ひとりがものすごく愛おしくなるみたいです。
だって本当にありがたいのですから。」(154頁〜171頁)
幸せは外にあるのではなくて、
己の内界にあります。
自分がすでに幸せであると気づけば、
誰が何と言おうと幸せなんです。
『あなたが幸せを探し求めることをやめて、
幸せをすでに手にしていることを知ることが、
永続的な幸せへの鍵です。
もしあなたが幸せを探し求めるならば、
一生見つけることはないでしょう。
あなたが、
幸せはその角を曲がったらあると考えているならば、
あなたは角を曲がりつづけるだけで、
ついぞ幸せを手にすることはないでしょう。
幸せへの本当の鍵は、
ポジティブさやネガティブさを超えた知性の場で暮らし、
遊ぶことなのです。
その場はあなたの源で、
魔法のようでいて、
神聖で、
喜びに満ちていて、
自由です。』
(ディーパック・チョプラ)
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『宇宙が応援する生き方』
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