過去の記事ですが小説も映画も重みのある
良いものだったので掲載します 。
台風5号北上の影響で雨が降ったり止んだり、
外での遊びが出来ないので昔 読んだ
司馬遼太郎 氏、執筆の「峠」が
上映されていたので観に行きました。

上は上映前に買ったパンフレットの表紙、
倒幕軍を前に長岡の町と戦略を胸に 峠 より
美しい故郷・城下町が戦場化するのを思い見つめる
効演技の一コマですね 。
下は映画化への経緯 。

司馬 遼太郎 氏 原作「 峠 」の表題

監督・脚本は「雨あがる」「 蜩の記」
「明日への遺言」などを手がけた
黒沢明 監督 門下生の 小泉 堯史 氏 。

撮影は「影武者」「乱」「雨あがる」などを担当した
日本アカデミー賞最優秀撮影賞などを受賞 。
CGが駆使されておらず、
エキストラなどが動員され、
風景など情緒よくオールロケーションで
撮影されました。

音楽は「映像の世紀」の
「パリは燃えているか」や
「阿弥陀堂だより」などを担当された
優秀音楽賞どを受賞された 加古 隆 氏 。

撮影の為に「長岡城・野口御門」を建設・設営 。


エンディングに流れている曲は
誰が歌っているのだろう?
誰が作詞、作曲したのだろうと思いいつつ、
映像を観、曲を聞いていました。
後でパンフレットを見てみると、
作詞・阿木 燿子 氏 作曲・加古 隆 氏
編曲・吉田 潔 氏 唄はやはり石川 さゆり 氏 でした 。
作詞家の阿木 燿子 氏は今までに違う
時代劇のジャンルでおやと言う
思いがありましたが、良い歌・曲でした 。

西本願寺での二条城・大広間を

北方博物館での長岡藩・上段の間を想定した
継之助と十一 代藩主・牧野雪堂 の
藩としての方向性 の談義 。

藩主・牧野雪堂より藩士への
「藩の意思決定」の伝達の場 。

和平の嘆願書提出 。

嘆願書は受けつけてもらえず、開戦となり、
圧倒的な戦力差で生きて帰れぬと思い、
別れの思い出に、妻・おすが(松たか子)を
伴い宴会を催す 。

別れの宴会、撮影に使われたと思われる
旅籠「桝屋」。
年の差はありますが、
年齢差を感じさせない夫婦姿の立ち振る舞い、
言葉少ないのですが好演技でした。
女性の着物姿、衣装も良く、
衣装デザインは黒沢明 氏の娘、黒沢 和子 氏 。

圧倒的な戦力差、

倒幕派と長岡藩との戦いの足取り 。

日本に駐留していた武器商人より
ガトリング銃を購入。
河井継之助、自ら連射したと言われています 。

その後、倒幕派の銃弾で継之助が負傷、前線離脱、
長岡藩士の死傷者も増え、指揮が落ち、
会津へと後退して行く 。
途中、継之助は会津塩沢村の医家・矢沢氏の
屋敷を宿舎とし、
自害、荼毘にせよと松蔵(永山絇斗)へ
依頼します。
ここが継之助の最後の場所に
なったと言われています。
会わず岩村精一郎を
出したのが大きな誤算で、互いに
多数の死傷者を出してしまい
大きな誤算あったと言われています 。
長岡藩の山本五十六氏は幼少の頃、
長岡・戊辰戦争の悲惨を目の辺りにし、
後に日米開戦回避に尽力したものの、
日米戦争は回避できませんでした 。
( 映画のパンフレットは公開済で、
営利目的で無ければ掲載可能 。 )