3rd関東氷帝公演だったと思う。帰りのロビーで、ちょっと年上の相互フォロワーにたまたま遭った。終演後のお見送りの話になり、当時30歳手前だったその人は自分の年齢を理由に「もうお見送りとか自分は並べないな」と笑った。悲観するでも自嘲するでも、当然誰かを馬鹿にするでもなく、プレーンにもうそういう歳じゃないし、という感じだった。それを聞いた時の私は全然そんなことないのになという感想の他に、重さのある寂しさを覚えた。お見送りやそういう催しを楽しみたいなら年齢とか気にせず楽しめばいいのに、そういう感情ではなく、その人の自分自身に対する「そろそろ引き際かな」という機微を勝手に感じ取ってしまった。実際その人はすっかりテニモンを、もしかしたらオタクすらも辞めてしまったのかもしれない。
その後の六角公演だったか関東立海公演だったか、兎に角六角が出演したTDCホールの3バルでお見送りの出場待ちをしている私の斜め前方に、全体的に赤っぽい服装をした三人組を見つけた。六角厨かなと眺めていると、彼女らの年齢が4,50代と推測できることに気が付いた。その瞬間しばらく前のフォロワーの言葉を思い出し、やはり私は全然そんなことないのになと悲しくなった。参加する気にならないものを無理にとは言わないけれど、やりたいならやればいいし、年齢を理由に引いたり諦めたりする人がいるのは嫌だし、その上で、私が行きたいのはあっちだなと思った。彼女らは何の衒いもなく、朗らかにお見送りの列に並んでいた。
絶賛公演中の4th全国氷帝公演をカナデビアホールで観た時に、物販エリアの近くで買ったばかりのグッズを手に持つ白髪交じりの女性を見た。真っ暗な海辺から見上げた遠くの灯台のようなその姿に、私はテニミュという海に一艘の船で再び漕ぎ出すような気持ちになった。夜の草木が生い茂る遠くの丘から若かりし頃の私が見ている。こちらからは姿の見えない彼女が暗い海辺の小さな私を見下ろし、そしてその先の灯台を見つめている。いつか私もそういう存在になる日が来る、行きつ戻りつ明滅を繰り返す灯台に。――きっと既にそうである。
長年オタクやテニモンをやっていれば色々あるし、毎日が昨日になる速度は日々増していく。新しい明日を共に迎えるのだって、テニモンもミュキャスも同じ「君」とは限らない。大人になってもとっくに卒業した王子様の幻を駄々子のように追いかけて、とりあえずのチケットを集める初速ばかりが早くなる。いよいよ年下しかいなくなったと思ったキャストはまさかの方向から年上の選手キャストがやってきて、それを「乗り越えた」と言えるのかは微妙なところではあるものの、この記事の中で歳を気にするなと言っておきながら試練の一つではあっただろう。もうそういう歳じゃないし。もうそんなことをわざわざ気にするような歳じゃないし。テニモン二十歳、おめでとう、私。