先日、先生と氣がエネルギーであり型であるという話をした。
それから、剣道、柔道、華道、書道、茶道そして空手道につく「道」。
とりあえず「かたち」から入るというのも悪いだけではないのかも?
そう考えた私は、次の機会に質問した。
「先生、かたちから入る、って悪いことですか?」
「現在は悪い意味でとられますが、もともとの意味は違いますよ。」
やっぱり!
「例えば、履物をそろえなさい、を英語にすると
Place your shoes properly after you take them off.
でも日本人にとって履物をそろえるという所作は
ただ脱いだ靴をそろえるだけではないですよね?」
私はうなずく。
かがんで靴をそろえる。一瞬止まって、
そして立ち上がる。
「では、襟を正す、はどうでしょう?」
襟・・・
そういえば華道の先生は、よく崩れてもいない衿を指先で整えていた
・・・扇子を閉じるパチンという音が、怖かったな・・・。
思い浮かべると、背筋がぴしっと伸びる。
「ただ単に、衣服を整えるだけではないですね?」
私はうなずく。
「日本人独特の感覚でしょう。まずは型を身に着ける。」
書道で、墨をするのも同じかな・・・
英語だとrub down an ink-stick
まあ確かにその通りだけど。
背筋をすっと伸ばす。
一瞬止まってそれから、墨を手に取る。
しゅっ、しゅっ、しゅっ。
音を聞くことに集中する。
あれ?こうしてみると、いつも「間」がある?
「先生、書道で、墨をするのも同じことですよね。」
「そう、墨をするのも同じです。」
「では、これからなるべく墨をするようにします!」
先生はにっこり言う。
「・・・まあ僕は筆ペンを使いますけどね」
「え」
調べてみると、この「履物をそろえる」⇒
脚下照顧(きゃっかしょうこ)と言い、
曹洞宗の開祖である道元禅師は日々の修行の一つとしていた、
とあった。
それにしても、所作のところどころに出てくる「間」これは
なんだろう?
筆ペンの話で大笑いになり聞きそびれたが、どうも気になる。