〜私のスタンス〜
①身近で体験した不思議体験の共有
②不思議体験・現象の考察
③自身の体験から感じたあの世を共有し、
多くの人に希望と癒やしをお伝えする
徒然書いています。どうぞよろしくお願いいたします。
魂を食べる存在の考察②
閃いた回答
前回の続きです。
「魔物的知恵がある存在と対面」設定で問答対策の練習をしました。※完全にイメージです※
魔物(では、質問だ)
(はい)
魔物(なぜ、人間たちは我らが「人の魂を喰うことを悪くいうのか?」お前たち人間も「他存在を食べている」ではないか?それについて、どう思うか?)
(うっ!!難しい…!確かに…)
───…とあの世で問答された時の対策にと脳内シュミレーションをしたら、このような質問が浮かんできて、
うーん。うーん。と問答しながら数日。すぐ答えが出なかったのですが、料理中に「私なりの答え」が閃きました💡
人間には「感謝」「愛情」がある
①「悪霊・魔物」は→人間の魂を食べる。が、「人間」は→動植物の魂は食べていない。
いのちを頂いてはいるが、いただくのは「肉や実や葉」の部分であり、根幹となる霊の部分は食べていないので、そこが「悪霊・魔物」とは違う部分である💡
屠殺したり摘み取った後(肉や果実部分、抜け殻的な部分)を頂いていて、
私達人間は、ただがむしゃらに
むさぼるのではなく、
慰霊碑を立て、頂く「命」に感謝し、
供養することをしている。
②悪霊・魔物と違うところは、
食べるものに対して明確な線引きがあり、
たとえば「同種」「大切にしている存在」
「愛情をかけた存在」
を食べることはしない。
さらに、頂く命とはいえ「感謝」「敬いの気持ち」
「いつくしむ気持ち」などが人間にはある。
(そうだ!これが答えになる!)
と先日のシュミレーションのような、魔物に聞かれた時の「回答」になると浮かんだのです。
そして、明らかな違いとして、
私たち人間には「愛情」がある。
これは、きっと誰にもあり、全く「1%の愛情も持っていない」人間はいないのではないか?という考察でした。
反対に言えば、いくら愛情に恵まれなかった生い立ちだったとしても、多少の幅はあるにせよ、少なくとも1〜10%でも最低限の愛情は持ち合わせていて、
・人
・動物
・植物
・自然
・物
・仕事
など、
何かしらに向ける「愛情」というものがあり、
持ち合わせる愛情なしにこの世を
生きる人間はいないのではないか?
という結論が、出たのです。
1%もの、愛情が人間に無くなった時にさらに恨みつらみが重なり溜まると、あの世で「悪霊化」してしまうのかな?と考えています。
魔物は魔物で、別枠の生まれ(発生)があるのでは?と考え中。
未知ですが、魔物=必要悪みたいな存在という
イメージがあります。
そのため、この考察をしながら浮かんだことは、
自分が何か分からなくなり人の道を絶った霊や、混乱する悪霊も、きっかけを得て、
私たちの「愛情」=「供養」により、その心の次元を上げていき、本来の自分、生きていた日の「在りし日の自分」を、何かをきっかけに取り戻すことができるのかもしれません。
だから、私たちは「先祖供養」「祖霊拝詞」をとお寺や神社で教わるのでしょう。
ご先祖さまがひとりでも多く、
在りし日の自分を思い出し、天へ上がり、
元いた場所へ戻れるように…
そして、何より人間は心理学の実験でも分かるように「愛情」なしには生き続けることが難しい存在です。
そのため、ご先祖さまをはじめ、人間でも霊体でも、目を向け、心を向け、愛情をかけた先に、
心の平安
が得られ、その結果、
・安らかな境地
・次のステージ(次元)
へ向かっていくことができるのかもしれない。と考えたのでした。
まだまだ考察中です。霊界・天界の全貌はわかりませんが、不思議なしくみだなとつくづく思います。
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