自分はなぜ存在していると断言できるのか。この問いについてじっくりと考えてみたことはあるだろうか。
この身体の感覚があるから?それは存在の証明にならない。なぜなら感覚は騙すことができるからだ。
この思考や感情があるから?それも存在の証明にならない。なぜなら思考や感情もまた騙すことができるからだ。
ではなぜ私たちは「自分は存在している」と、こうも確信を持って言えるのだろう。それは意識がその存在性を主張しているからだ。
しかし、あなたはこういうかもしれない。
「そんなことは当たり前じゃないか。意識がないとこの精神や身体を認識できないのだから」
違う。あなたはまだ精神や身体、即ち私という個人の感覚を自己存在の根拠にしてしまっている。私が言っているのは「意識が意識それ自身の存在を知っている」ということだ。
存在を主張するためには意識が必要となり、逆に意識があるとき意識それ自身の存在を知る。つまり「意識があること」と「存在すること」は同値、同じ意味なのだ。言い換えるなら「観る」ことは「在る」ことだ。
この世界で唯一その存在性を騙すことのできないもの。
それが私たちの意識であり、それこそが真の自己、唯一の実在なのだ。