◎悩みをなくしてしまうことは、医者の仕事ではない
以下の対話では、久松真一が禅的悟りで人間の苦悩を一気に解消することができるが、精神医学ではそれが可能かと問うている。ところがC.G.ユングは、苦悩を一気に解消することなどまずもってあり得ないと一蹴する。C.G.ユングは内丹書は読むが、禅の理解はいまいちだったようだ。
珍しい久松真一とユングの対話。
『久松 それにしても、人間には実に多くの悩みがあり、私どもはほとんど常に悩みの中に生きてゆかねばなりません 。そこで、お尋ねしたいことは、人間がこれらのありとあらゆる悩みを一挙に自分自身から捨離してしまうこと、そのことが精神療法の内で出来るか出来ないか、ということであります 。
ユング 一体そんな方法がありますか 。それによって悩みそのものを治してしまうというような……………… 。
久松 悩みに対する普遍妥当的な治療手段は無いのでしょうか 。
ユング 果たしてそんな方法がありますか、それによれば、人間をして悩みそのものを免れしめることが出来るというような 。
久松 精神療法は人間を悩みそのものから一挙に解放しますか、しませんか 。
ユング 人間を悩みそのものから解放することですって 。私どもの試みていることは、人間のために悩みを軽減することですが、何時になっても実際何らかの悩みは存しております 。美しいもの、素晴らしい事柄、もしそれらが醜いものとか悩みとかから際立って現われるのでないとしたら、それらの美しいものも素晴らしい事柄もなくなってしまうことでしょう 。ドイツの哲人ショーペンハウアーは或る時いいました。「幸福とは悩みが止むことである」と 。私ども〔人間〕は悩みを必要とします 。悩みがなくなれば、人生はもはや面白くなくなるでしょう 。ですから精神療法といえども、人間における苦悩の〔意味如何という哲学的〕問題の邪魔立てをし、余計なおせっかいをする権限はありません 。そんなことをすれば、人々はまた不満を感じることでありましょう 。
久松 悩みはある意味では人生に必要です 。それはその通りです 。しかしそれにもかかわらず、人間の内には、悩みそのものから解放されたいという心からの願いがあります 。
ユング 勿論です、過度な悩みがある場合には 。それを軽減することが医者の務めです 。しかし、悩みをなくしてしまうことは、医者の仕事ではありません 。』
(久松真一著作集1巻 P391から引用)