天白川右岸の丘陵地に三本木 神明社は社頭を構える。
中央の手水舎と左手に社標、更に左手に鳥居が建てられています。
神明社社標と鳥居へ続く参道。
三本木神明社の神明鳥居から境内の眺め。
『十四等級 神明社 旧無格社
鎮座地 愛知郡日進町大字三本木字廻間一二九番地
祭神 天照大御神、豊受大神、大山津見命、市杵島比売神
由緒
元は山神社と称したが、米野木の神明社を明治十二年許可をうけ合祀し、同四十年七月一日宗像社を合併する。
大正十四年十一月二十七日山神社を神明社と改称した。
例祭日 十月十日
社殿 本殿 神明造、祝詞殿、拝殿、社務所
氏子数 100戸』
補足情報(兼務社富士浅間神社資料・日進町誌より)
① 創建・由緒の補足
創建は宝永年間以前と推定される。
宝永四年(1708)の大地震直後、市杵島姫神を勧請した記録がある(弁財天社勧請由来札、富士浅間神社資料)。
明治十二年のコレラ流行に際し、隣村・米野木神明社の御分霊を員外社として奉祀(富士浅間神社・日進町誌)。
明治四十年七月四日、三ヶ峯池に祀られていた宗像社(辨財天社)を合祀。
宗像社は宝永五年正月二十八日、領主渡辺定網により勧請された(日進町誌)。
大正十四年十月二日願出、同年十一月二十七日許可により神社名を神明社と改称(日進町誌)。
② 境内社・末社
境内には「守綱社」があり、渡辺半蔵守綱(1542~1620)を祀る(富士浅間神社資料)。
氏子忠霊社は昭和二十五年三月に奉祀され、地区出身の戦没者の霊を祀る(日進町誌)。
③ 年中行事
慰霊祭:三月十日
例祭:十月十日(元は十月十五日)
山神祭:十二月七日(すべて日進町誌)
④ 氏子区域・境内地
氏子区域は旧三本木村全域(日進町誌)。
⑤ 地震と辨財天社の由来
宝永四年十月四日の地震により三ヶ峯池の堤が決壊し、三本木新田・米野木村が被災。一方、岩崎村の野田打池(弁天池)は無事であり、弁財天の加護とされる。
その信仰に基づき、三ヶ峯池の辺りにも弁財天社を建立。修造料として田百五十歩が寄附された(辨財天社勧請由来札、日進町誌)。
石段の前からその先の拝殿の眺め。
緑が減った東部丘陵地帯の東端に約600坪(日進町誌)の社地を持ち、緑豊かな社叢に包まれるように社殿が建てられています。
三本木神明社社殿・境内社配置。
山の斜面に建てられた社殿を中心に、左右に境内社9社が祀られており、拝殿の奥に、はじまりとなった山神社・守綱社・三本木の氏神 神明社・弁天社・忠霊社が祀られ、配置から社名・祭神・祭礼・御利益が分かりやすく一枚に纏められ、はじめて訪れた者にはありがたい。
拝殿全景。
拝殿前の狛犬。
拝殿額は神明社。
拝殿内から祝詞殿、本殿域の眺め。
ガラス戸の先、中央の大きな神明造の本殿と、左に檜皮葺の弁天社、守綱社、右に山神社、忠霊社が整然と鎮座する。
拝殿右の斜面から拝殿と境内社の眺め。
天満宮。
更に右手の斜面には当開山、御嶽山、覚明霊社。
拝殿左の斜面に祀られている秋葉神社。
手前から稲荷社、弁財天、権現社。
境内から境内社へ向かう参道口が作られています。
同、秋葉神社参道口。
同、弁財天社参道口。
拝殿から横に順次参拝してしまったが、本来はここから参拝に向かうべきものだろう。
境内から天白川、飯田街道、三本木集落の眺め。
古くは三河国との境に近い尾張国の東外れにあたり、江戸時代は米野木村の枝村で、村には地名の由来となった大きな三本の樹が聳えていたとも言われます。
堤が決壊し三本木集落に被害を及ぼした三ヶ峯池は、写真左方向の天白川源流の山手になります。
神明社の歴史は大正十四年と新しいものですが、前身となった山神社や守綱社、弁財天社は古くからこの光景と氏子を見守ってきた地に根付いた歴史のある神社です。
『神明社』日進市三本木町
創建 / 大正14年(前身の山神社は宝永以前とも)
祭神 / 天照大御神、豊受大神、大山津見命、市杵島比売神
境内社 / 弁天社、守綱社、山神社、忠霊社、稲荷社、弁財天、権現社、天満宮、当開山、御嶽山、覚明霊社、秋葉神社、稲荷社、弁財天、権現社
氏子域 / 米野木町:北山、南山、三ケ峯、日進市三本木町
例祭日 / 10月第2日曜日
所在地 / 日進市三本木町廻間129
田籾神明社から三本木神明社まで・車ルート / 県道58号線を西へ3.8km、約8分ほど先の三本木地区の天白川右岸
参拝日 2025/9/8
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