減ることと増えることのバランスが合わず、今日もまたものが増えてしまった。
買ったのはブラウス2着。
まだまだ本当にだめだなぁと思いつつも、最近の心身の疲弊を思えばこの行動も仕方ないと思う、のは甘いけれど、思ってしまう。
対して、捨てるもの(予定)。
スポーツバッグ1つと、本2冊。
もう少しがんばるつもりだけれど、いかんせん、心が疲れていて動けない。
ちょっとしたことで、たぶん本当に人から見ればちょっとしたことで、簡単に、一気に、心のバランスが崩れてしまう。
余裕がなくなりあっぷあっぷになってしまう。
でも最近は、良くも悪くも(?)そういう疲労が蓄積しすぎたためか、どこか冷めた目で自分の持っているものを見られるようになってきた。
おかげで要・不要の判断が少しだけつきやすくなってきた、気がする(投げやりなだけかもしれないけれど)。
私は、したくないことはしたくないのだよー!!!
なのにそれを自らに課してしまうのだよー・・・・・(泣)
人と関わることに神経を使いすぎてしまい、疲労感が凄まじい。
対人恐怖とまではいかない気もするけれど、とにかく疲れる。
これ、なんとかならないものか・・・
自分のペースを守るというのは言葉でいうのは簡単だけれど難しい。
頭がまわらなくなる。
本当は本当はほんとうは、全部、一切合切、捨ててしまいたい。
なにもなくなりたい。
でもそれはできない。
疲れた。
CARVIEW |
真白
ふくざつも、ときに愛しい
秋の色
昨日でやっと、9月のがんばろうと思っていたことをおおよそクリアすることができた。
9月は弟が帰ってきたり、虫歯が発覚したり(泣)、想像した以上にせわしなく、いろんなことがあって、余裕がなかった。
それでもなんとか目標としていたことを達成できて、10月に入ったいま、久しぶりにほっと肩の力が抜けている。
捨て活もしばらくはゆっくりなペースとなっていたけれど、それでもぼちぼちとものを手放すことは続けていた。
本だったり洋服だったり、細々とした雑貨だったり。
先月、断捨離で有名なやましたひでこさんの御本を購入し、少しずつではあるけれど楽しく読み進め、自分にしては珍しく(!)読み終えることができた。
いまもやっと落ち着いたから、久しぶりに別の本を読んでいた。
長いこと活字がつらくて本(文章)を読むことができずにいたけれど、最近はいまの自分でも読める本を意識して選び、ちまちまとではあるものの、本を読むことが習慣化してきてとてもうれしい。
相変わらず小説はまったく読めないし、読む気力も出ないけれど、エッセイや、生活・暮らしに関する本はとても楽しく読めている。
いまはそういう本が自分にはあっているということだ。
少し、肩の荷がおりて、少し、ほっとした。
でもまた気を引きしめて、少しずつ自分の人生を生かしていきたい。
またブログもぼちぼち書けたらいいなと思う。
夜の終わり
ものは私の不安や、満たされなさの表れなのだなぁと身に沁みて感じる。
ものはただものでしかないのだ。
そこに自分の心と通いあえるなにかがあれば、私はそのものを「愛する」ことができる。
けれども、それができないことの方がむしろ圧倒的に多い。
不安や焦燥、満たされない思い、ストレスの発散など、ネガティブな背景をもとに手に入れたものたちには、往々にしてそのような暗い影がつきまとい、結局いつしか愛せなくなる。
そうして溢れ返ったものたちに囲まれ、あっという間に苦しくなる。
そしてまた自分を否定する。
感謝の気持ちをもって、すなおに手放す。
失敗した自分をただただ認める。
苦しさから行動した自分を受け入れる。
それだけでいい。
多くを考えないこと。
執着、という言葉もある。
その通りだ、まさに執着なのだと思う。
なぜ執着するのか。
ずっと満たされなかったから、悲しかったから、さびしかったから。
ものに不満足な若い時代を過ごしてきた。
私の両親、特に母は、私たち兄弟にものを買い与えてくれない人だった。
教師だった母は、自分の勤め先の学校の、誰のものかもわからない忘れものの傘を、小学生の私に何度も与えた。
新しい傘など、買ってもらった記憶がない。
自分は母にとってこの誰かもわからない傘の持ち主よりも、価値がない存在なのだなと思ったことを鮮明に覚えている。
そうした長年の満たされなさ、渇き、悲しみは、今なお私の心を縛り、苦しめる。
手放すという作業は、もはや修行だ。
生きることの、修行。
ものだけではない。
心も、行動も、意識も、思考も、過去の数えきれないほどの傷も、記憶も、その時の自分も、まわりにいた人々のことも、みんなみんな、手放していく。
その修行とともに、生きることはある。
ほんとうに大切なものは、ほんのわずかしかない。
「本質」を、見極められる自分でありたい。
うまくいかないことばかりだとどうしても思い込んでしまうけれど、その自分の「評価」も、手放していきたい。
ただ「今あること」に、感謝の気持ちと、よろこびを、抱ける自分でありたい。
月の夜
今日の捨て活記録。
まず、ワンピースを1着手放すことにした。
とてもお気に入りでずっと大切に着ていたのだけれど、最近なんとなく違和感を感じることが増え、今日はその違和感の正体を突きとめるために、実際に着た状態で写真に撮ってみた。
これはいろいろな方がいろいろなところでおっしゃっている方法で、半信半疑だったものの、結果、とても効果があると感じた。
手放すことにした一番の理由は、「なんとなく野暮ったい・・・?」ということだった。
写真に撮らなければこうして客観的に気づくことは難しかったと思う。
ずっとお気に入りで着てきたから悲しいけれど、「ありがとう」と思って手放そうと思う。
他には、カメラやレンズ用のクッション座布団1つと、スニーカー用のクリーナー2つを処分することにした。
クローゼットや押入れのなか(押入れは私のものだけでなく、家族のものも入っている)が大変なカオス状態であり、恐ろしすぎる。
もう少し涼しくなったら勇気を出して取りかかろう・・・(怯)
また明日。
9月
久しぶりの投稿となってしまった。
最近は少し忙しく過ごしていた。
9月は今年いちばんの、かつ最後のがんばりどきの月でもあり、おかげでなかなか気が休まらないけれど、どうかなんとか無事に乗りきれますように。
がんばれますように。
最近の捨て活記録はというと、相変わらず亀の歩みではあるものの、少しずつ毎日のなかでものを手放している。
着心地が悪くなってしまった部屋着の長袖や、読んでみてあまり好きではなかった文庫本、カメラやレンズの乾燥剤、はさみ、もう使わないノート・・・
改めて列挙してみようと思っても、もうほとんど忘れてしまった。
それくらい最近は慌ただしく、余裕がなかった。
そうそう、最近のよかったことといえば、彼と仲直り(?)をした。
2か月くらいまったく連絡をとらずにいたのだけれど、今月のあたまに私からなんとなく連絡をし、どうなることかと思っていたけれども、なんとかまたもとに戻ることができた。
それと、(唐突だけれど)海へ行きたい。だから、それを目標にする。
海へ行くことは私の長年の夢で、海なし県に住んでいることもあり、いちばんは体調がよくないことが原因だけれど、なかなか叶えられずにいる。
その夢をもう一度、意識したいと思った。
まとまりのない文章だけれど、今日はこのくらい。
9月、実りある月となりますように。
鈍化
気がつくと息切れをしている。
それでも最近は、ぽちぽちと本を読むことができていてうれしい。
捨て活、全然進んでいないなぁ。
そもそもエネルギーがないため動けず、続かない。
でも、そういう時は無理をせず、休むことだ。
どうしても波はあるものだから、あきらめず、気長にやること。
それを忘れずにいたい。
本を読んでいると、こんなにさらさらと文章が綴れる人はすごいな、とうらやましくなる。
感覚も細やかで、きらめいていて。
自分がどれだけ鈍化しているかを痛感する。
秋の気配に少し、弱気になっているだろうか。
それでもいいや。
また明日。
深呼吸
隙間があるとなにかを入れたくなる。
平らな場所があるとなにかを置きたくなる。
人にはそういう習性があるのだそうだ。
自分のことを考えてみてもまさにその通りすぎて言葉がない。
相変わらずなかなか片付かない、整わない、わが部屋である。
脳が疲れているのか、最近また文章を書くのがとてもつらくなってきて、こういう時は無理をしないことが一番である。
簡単に今日の捨て活メモ。
着心地が悪くなってしまった部屋着の長袖3着を捨て、新しくユニクロで買ってきた服に交換した。
よく見ずに購入してしまったものの、帰ってきてから確認したら綿100%でうれしかった。
肌ざわりがとてもよい。
小さい頃からよく家族で行っていたスーパーが知らない間に閉店してしまったそうで、なんともさびしい気持ちになった今日の夜。
いろいろ移ろっていくなとしみじみ思う。
追記
本をプラス2冊、処分することにした。
今日はいろいろな本を読むことができてうれしかった。
夜風
捨て活中ではあるものの、今日はたくさん本を買ってきた。
本屋は最近なんだか苦手で(全然リラックスができない)敬遠していたのだけれど、今日はわりと落ち着いて過ごせたのでよかった。
買ってきたのは主に「アーユルヴェーダ」についての本と、読みやすそうな断捨離の本など。
アーユルヴェーダは以前から興味があったものの、なんとなく近づけずにいて、今回完全に「はじめまして」である。
読むのがとても楽しみ。
もうすでに本棚はぱんぱんだったから、無計画に買ってしまい不安だったけれど、どうにかこうにかすべての本をしまうことができてほっとした。
捨て活についてはぼちぼちと。
古くなったタオルを交換し、同じく古くなった靴下やハンカチ、タンクトップを処分した。
それから本棚を整理した際にもういいかなと思った本を1冊、ずっと使わずにいて今後もきっと使うことはないだろう旅行用の道具など、細々としたものもいくつか処分することにした。
今日はこのくらい。
春(初夏かな?)に切った髪が伸びてきて、いよいよ鬱陶しくなってきたから、落ち着いたら美容院に行こうと思う。
もう9月も間近で、今日の夜は秋のような風を感じた。
まだまだ暑さは厳しいけれど、自分のペースを大切に、なんとか生きていきたい。
花火
心が荒れていると、選ぶ洋服も雑になるなぁと改めて感じた。
大事にしている洋服ならなおさら、こんな精神状態で着たくないと思い、選ばなくなる。
そうして結果的に、よくも悪くも「適当な」服を着る。
今日はそんな一日だった。
捨て活記録としては、なにがあったろうか。
あまり大きな進捗はなかったな。
あ、そういえば、もう何年も着ていたペチワンピースを処分したのだった。
さすがによれが気になるようになったのと、なによりその服にあまりいい思い出がないことに気づき、それなら処分しようと思って処分した。
それから、使いづらい口紅をひとつ捨てた。
あとは、まだ捨ててはいないのだけれど、日常の細々としたものを入れている小さなかごがさすがにぼろくなりすぎたため、処分しようと思っている。
かわりに今日買ってきたポーチに切り替えるつもり。
同じくヘアブラシを入れているまにあわせのケースも、今日買ってきたかごへバトンタッチ。
今日の捨て活記録はこのくらい。
あとはちゃんとお風呂に入るという最大のセルフケアをして、ちゃんと寝よう。
風を通す
久しぶりに片付けをがんばった。
ずっと放置したままになっていたものをしまったり、いらないと思うものを処分したり、ちょっとしたことではあるけれど風が通る心地がする。
具体的に書くと、まず、部屋の電気をようやく取り替えた。
この問題について何か月悩んできたかわからないけれど、やっと少し解放された。
相変わらず平成のまま(見た目)の電気であるのが悲しいけれど・・・
処分したものを書きだすと、文房具いろいろ(ペンやシールなど)、収納かご1つ、今日使い終えたアロマの瓶1つ、ぼろくなった靴下2足、使いづらいペチコート1着、もうあまり心がひかれない写真集1冊、やけどをしたことで使うのが恐くなった電気あんか1つ、花瓶4つ、雑誌の付録だった小冊子1つ、空になったダンボールの箱1つ、このくらいだろうか?
洋服も近々処分したいものがいくつかある。
片付けや捨て活は一朝一夕にはいかないけれど、少しずつ、地味に続けていきたい。
ネガティブな言葉や考え方、行動も、同じように減らしていきたいなぁ。
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