先日のミスの一件が一区切りついたような空気が流れた。
今日は丁度該当業務に携わる人が数人いたので、退勤間際に部門責任者から直々に話を受けた。聞けば、幸運な事に客先の人はこの件を不問にしてくれるようだった。ひとまず一安心だ。一緒に聞いている社員を一瞥したら、「何故こんな単純作業でこんなミスが起こるのか」とでも言いたげな目をしていて、私は酷く居た堪れなかった。ただでさえ赤字続きの会社なのに私の所為で評判も悪くなったら、最早疫病神というほかないだろう。「神」なんて大層な字が付いているが、それすらもおこがましい。ただの疫病である。
私が任されている仕事は至極簡単だ。が、数が非常に多いのだ。時間に追われて切羽詰まっていると注意散漫に拍車がかかり、ミスが発生するのだろう。私の作業速度の遅さと注意欠陥の合わせ技である。比較しても不毛だと理解しているが、どうしても比べてしまう。世の中もっと複雑で難しい仕事があって、それをミスなく全うしている人がいるというのに、私は一体全体何なんだ。以前、私の業務は虚しい云々と書いたが、今見れば失笑を禁じ得ないだろう。その業務すらミスなくできない私は酷くしょうもない存在に違いない。
26歳。もうすぐ27歳になる。なんだこりゃ。余りにも稚拙。余りにも未熟。死にたいだの何だのと赤子の如く泣き喚く。しかしそこに成長はない。希望に満ちた未来もない。だだっ広い草原のような清々しい可能性も!何もないのだ。このまま歳を取って、ただ年齢を重ねただけの老人になるのだろうか。だろうか、ではなく、そうなるに決まっている。だから若い内に死んでおきたかった。が、死ねなかった。もしも私が希死念慮を持つ年齢を重ねただけの老人になったら、そりゃあもう、どうか、山に捨ててほしいものだ。
心が苦しい時は弱音を吐き散らすに限る。重ね重ね、自己否定。精神的自傷を垂れ流す。そうして皆に嫌われるのだ。私は皆に嫌われるくらいが丁度良いのかもしれない。職場でもうっすらと嫌われているような雰囲気をひしひしと感じる。仕事ができないし愛想もない人間が職場にいたら、必然とそうなるのも当然だ。これを読んでいる人も、「こいつは死にたいだの何だの言って、命を軽視している」と眉間に皺を寄せている事だろう。そして、自分の心の声を勝手に代弁するな、とも。そして……。結果、嫌われるに至る。どこか皆に好かれたいという雰囲気も私の気色悪さを醸していて……ああ、書いていて酷くうんざりする。
私が好きな配信者が、「騙されたと思って三年は仕事を続けてみろ」と言っていた。三年。長いなあ。でも、死ぬのは三年働いてからにしようか。