先日の日曜日も私のやらかしたミスを詰問されるのではないかと憂鬱だった。
社員に私の仕事の手順を説明した。杜撰な仕事ぶりが白日の下に晒されているようで、心が針の筵だった。今一度自分の仕事に対する姿勢を改める必要がある。おざなりな仕事をして痛い目を見るのは自分なのだから。いや、おざなりな仕事はしていない、ただ注意散漫で業務速度が遅いだけだ。それをおざなりというのだろう。今日も「まといさん、もう少し早くやりましょう」と注意を受けた。刹那、頭が痛くなった。いやあ、言葉って不思議だなあ。たったその一言で苦しくなるのだから。ところで先日のミスをよくよく確かめてみると、そのミスが起こった日の業務は私が担当していなかった。別の人がやっていたようだ。私は別の業務をしていた。それがわかった瞬間少しだけ安堵した。何故安堵するのか。ああ、全く性格が悪い。だから私の周りには誰もいないのだろう。
休日は酒を飲んで脳みそが泥になっていた。最初は酒の代わりに苺牛乳を飲もうと思ったが、酔いの誘惑に勝てなかった。ミスの詰問が終わってわだかまりも解消した筈なのに、ずっと心がもやもやしており、酔っても不安が付きまとっていて酷くうんざりした。飲んでも飲んでも不安で、さながら不安を飲んでいるようだった。飲んでも愉快な事より後日苦しくなる事が多いので、もう飲まないと思っても懲りずにまた飲むのだろう。過去に多量飲酒による急性胃腸炎と思われる症状によって下痢が止まらなくなっても、その数日後に当然の如く飲んでいたので、私はアルコール依存症になりつつあるのだろうか。しかし数日間は酒を飲まなくても平気なので、アルコール依存症ではないだろう。飲むにしても適量にして、肝硬変だけは用心したい。
漢検準一級の問題集を買った。私の人生においてやり残した事の一つである、漢検準一級の合格、それを成し遂げたい。そして付随的に語彙も増やしたいのだ。もっと色々な言葉を使って色々な表現を書いてみたい。それが叶えば、一層自分の文章が好きになれる気がする。他人がどう思うかは知らないが、先日の文章はそこそこよく書けたと思っている。こういう所から己の自己肯定感を少しでも向上させたい。人生においてやり残した事を考えたら、幾つか浮かんできた。それをやれば死に近付ける気がする。もしくは生きる気力が湧いてくるのだろうか。
労働を終えて帰路に就いたら空に虹が掛かっていた。良い事がありそうだ、と同時に虹を見れたという良い事が起こって、これから悪い事が起こるのではないかと思ったりもした。畢竟虹はそこにあるだけで、それ以上の意味はなく、それをそのままに見られれば心の安穏を多少は保てるかもしれない。