今朝は肌寒く、途端に夏の暑さが恋しくなった。
一人暮らしがしたい欲求が高まっている。きっかけは私が労働から帰ってきたら開口一番父親に小言を言われた事だ。私は特に何も反論せず部屋にすごすごと戻り、怒りに任せて壁をぶん殴りたくなったが、ひとまず煙草を吸って落ち着いた。自分が悪いのだ。何か相手の気分を害する事を無意識の内にしていたのだろう。東照宮御遺訓の一つに「己を責めて人を責むるな」という言葉があり、それを思い出す。そして「怒りは敵と思え」という言葉も。私は冷静を取り戻した。小言といえども、それを人間以外の動物に置き換えれば単なる鳴き声であり、突き詰めればただの音波であるから、そんなものに嫌な気持ちにさせられるなんておかしな話だ。結局それに毒を入れているのは他でもない自分なのだ。
ぼっち・ざ・ろっく!を見終わった。労働の休憩時間に毎回一話乃至二話を見るようにしていて、日々の労働に少しでも楽しみを見出す試みである。仕事に行けば次話が見られる、と。彼女達はバンド活動を頑張り、そして人間としても成長している。最後に私が頑張ったのはいつだろうか。この労働は頑張っていると言えるのだろうか。いや、頑張っている。が、酷く空しい。まあ、労働なんてそんなものか。26歳の秋、未だに青春コンプレックスを引きずり続けている。
彼女達の青春と私の青春を比べれば、私のものは塵芥にも満たないような酷くつまらないもので、私が学園青春アニメを忌避していた理由はこれである。ただただ苦しくなる。己の人生が一層空しく感じる。私の高校生活は、さっさと卒業して消えたいという気持ちしかなかった。だから待望の卒業式を終えたら脱兎の如く家へ帰った。最後の教室では皆銘々に写真を撮ったり、各々友人とお喋りしたりと、最後の高校生活を謳歌しているのが見えた。私は独り鞄を肩に掛けて、さあ帰ろうと教室を後にしようとしたら、教卓にいる担任が皆に向けて「先生とチェキを撮ろうよ」などと言っていたが、私は全く意に介さず矢のように帰宅した。そこにいたくなくて堪らなかったのだ。
公園に彼岸花が咲いていた。早く死にたいと思った。生きる理由を外に求めるのは私に向いていないのかもしれない。では死ぬ理由は?前回の記事で鬼滅の刃のアニメが完結するまで生きていたいと書いたが、それが完結したら死のうとした方が私には合っている。私はそういう性分なのだ。