8月のまとめをする。
8月は記事を2つしか書けなかった。労働中は、あれを書こう、これを書こうと色々画策しているのだが、家に帰った途端にその意欲が消失してしまう。何故だろう。思うに、労働中は現実逃避として労働以外の事を頻りに考えて、どうにか正気を保っているのだ。だから家に帰ると、一層疲労している心が休息状態になって何もできなくなるのだ。と、もっともらしい理由を付けてみたが、実際はブログに書けるような出来事が何も無いだけなのだ。
dアニメストアに加入した。故にアニメの視聴が増えた。暇さえあればアニメを見ている。疲労困憊で動けなくてもアニメは様々な世界を見せてくれて、私の心を適度に癒してくれる。過去に視聴済みのアニメばかり見ていたが、未視聴のアニメも見るようになった。が、それを見るのは体力を多分に消費するので、中々手が出せない。でも一旦見れば熱中する事が何度かあった。一歩踏み出せば新たな世界が眼前に広がるのに、それを避けてきたから見事な空っぽ人間になってしまった。
仕事帰りにゲームセンターへ寄って音ゲーをする事が増えた。今はやればやるだけ上達する状態だと感じているので、大変楽しく遊べている。が、その所為で貯金が疎かになりつつあって、今年中に一人暮らしをする予定が今年度中に変更になりそうだ。今が10代前半だったらと強く望む。26歳。能力の下り坂。限界値はすぐやってくるのだろうと薄々感じている。停滞期は酷くつまらない。10代であればそれを乗り越えると更なる進歩が望めるだろうが、20代後半でそれはどうだろうか。でも、これも、努力しない言い訳か。趣味でやっているものに努力を持ち込みたくない。だから私は何もかも中途半端なのか。努力を努力と思わない性分を持ち合わせたかった。
休日は心身を休める筈なのに労働がじりじりと迫っていて、さながらじわじわと壁に押し潰されているようだ。私の休日は、まず歯医者へ行って、その帰りにカラオケをする。そして家で酒を飲んで翌日動けなくなり、二日目の休日を台無しにするのがお決まりである。カラオケはLIVEDAMの精密採点を使って三時間歌い続けている。得意な曲で90点は出るようになったのだが、92点以上が中々出なくて壁を感じる。それでも歌が下手くそだった私にしては大きな上達である。そして一層上達するには自分の歌声を録音して聴くのが好ましいという。鏡で自分の顔を見るのすら苦手なのに、それができる日は果たしてやってくるのだろうか。中学生の時に音楽の授業でクラスメイトの前で校歌を歌うというものがあった。私は人前で喋る事さえままならなかったのに、歌うだなんて処刑されるようなものだ。歌声は酷く震えていたし、極度の緊張で頭が真っ白になり、歌詞が頭の中でばらばらになっていた。そんな状態で歌ったので、クラスで一番低い点数を付けられたと記憶している。お調子者のクラスメイトに音楽教師が「君が一番駄目だったよ」などと冗談交じりに点数を言っていたが、その点数よりも私の方が断然低かったのだ。酷く惨めな気分で、あの恥辱は二度と御免だ。
労働意欲が著しく低下している。私が任されている業務は本当に虚しい。将来性が何も無い。何のスキルも身に付かない。強いて言えば忍耐力が身に付くぐらいだろう。しかしそれも些末なものだ。それでも任された以上は一所懸命にやっている。つもりだ。こんな仕事しかできない己の無能がほとほと嫌になってくる。「こんな仕事」なんて大した物言いだな、と私が刺してくる。私は頭が悪く、非力で、対人能力が欠如しているので、このような単純作業しかできないのだ。だから、そんなちっぽけなプライドをかなぐり捨てろ。これから30代、そして40代を迎える頃には一体私はどうなっているのだろうか。それを考えると、途端に苦しくなって、死にたくなる。
社会復帰してからとにかく息苦しい。働いていなくても苦しいし、働いていても苦しい。そう思う度に生まれたくなかったと強く思うのだ。私の使命は子供を作らずに死ぬ事だ。今まで恋人ができた事は一度もないし、あまつさえ異性の友達も一人としてできた事はない。故に私の使命を全うするのに大変好都合なのだ。なんて嘯いてみれば忽ち虚しくなったりもするのだ。「犀の角のようにただ独り歩め」このお釈迦様の言葉を都度繰り返しながら死んでゆけたら幸せだろうか。