私は緊張しやすかったため,小便が近くて困ることが多かった。特に学校の授業中に我慢できなくなることがあった。しかし私には,先生にトイレに行っていいか聞くことができない。休み時間には,必ずトイレに行くようにしていた。しかし,クラスメートとふざけていたりして,トイレに行けないことがある。そんな時は,決まって授業中に小便がたまって,漏れそうになった。
授業以外には,バスを使った旅行では,いつも心配だった。途中でバスを止める訳にはいかない。幸い,緊急事態になることはなかったが,ほとほと嫌な気質であった。
クラスメートの女子に,生まれつき体調管理の必要な子がいた。母が言うには,尿意を感じないらしい。いつもオムツをしていると聞いた。だから,その子のそばに行くと,何か臭うような気がした。ひょっとして,自分も臭いがするのではないかと心配したものである。
何度も大変な思いをしただろう。しかし,はっきり思い出せるのは,3回だけである。
1回は小学校の授業中だった。今にも漏れそうになるが,言い出せない。ほとほと困って,隣の女の子に,冗談めかして言った。その女の子は,親分肌の子で,大変優しかった。私の代わりに,先生に言ってくれたのだ。先生に,行っていいと言われ,私は急いで教室を出た。しかし,トイレに到着する途中で,少し漏れてしまった。幸い表に出る程では無かったので,その日は,少し濡れたパンツのままで,知らんぷりをした。
プールの日が忘れられない。その日は,曇りで気温が低かった。プールで泳いでいると,急にもよおしてきた。さて困った。プールの中でするのは,申し訳ない。かといって,授業を抜け出して,トイレに行くのは怒られそうだ。仕方なく,プールサイドの金網の下,雑草の出ているところで,こそっとやった。そうしたら,嫌みな奴に見つかった。「まあちゃん,しょんべんしてる~」という。クラスの友人もいた。私は,やばいところを見つかったなぁと思っていると,意外に彼もやったことがあるようで,大した気にもせずに,また泳ぎに戻った。私は,ホッとした。今思えば,勝手にトイレに行けばいいし,何ならプールの中で,こっそりやればいい。そこは,真面目な小学生なのである。
中学の時も,よく授業中にトイレに行きたくなった。大概は,体をゆすりながら我慢した。一度だけ,どうにも我慢できないことがあった。英語の時間である。口の悪い,女性教師の時だった。40人も生徒がいて,先生の話を静かに聞いている。その雰囲気を破って,先生にトイレに行きたいというのは,相当な勇気が必要であった。私は一計を案じた。手の甲に,ついたばかりの傷があり,かさぶたを取ったら,血が出て来た。特に痛くもなかったが,これはチャンスと思った。私は,意を決して先生のいる教卓へ向かい,手を見せて保健室へ行きたいといった。まあ,見た目もかなりひどかったので,すぐにOKが出た。私は,急いでトイレに駆け込んだ。途中危うく漏れるところであった。トイレで一息ついて,ゆっくり教室に戻った。そうしたら,先生が「どんな治療をした?」と聞くので焦った。私は,「消毒をして,何か塗りました」とドギマギして言った。いやいや,嘘はつけないものである。
私は,幼稚園の頃から良く寝小便をした。私の性格から,当然といえば当然である。それは,小学校になっても治らなかった。夜中に小便を我慢した記憶もない。朝,目が覚めて初めて気がつく。年寄りになり,恐らく薬の影響で寝小便をすることがある。そのときは,小便を我慢する夢を見ながら,小便が出た瞬間に目が覚める。しかし,子供の頃は,朝までぐっすり寝ているのである。最近,記憶違いだったことが判明したこともあるから,当時も案外,夢を見ていたかもしれないが。
何が原因なのか分からない。ネットで調べてみると,自律神経と抗利尿ホルモンのバランスが悪いらしい。ただ,言わなければ,同級生には気づかれないのが,不幸中の幸いである。そして,父も母も怒ることはなかった。おかげで私も,特に気にせず生活が出来た。劣等感を抱くこともなかった。それも,中学生になったら自然と治った。
それがあって,小学校の泊まり込みの海浜学校は面倒だった。おそらく,秘密裏に(?)アンケートがとられ,宿泊で不都合のある児童を把握したものと思われる。数人の親(ほとんど母親だった)が引率でついており,私の母も来た。それもあってか,特に心配はしていなかった。ところが,夜中に知らない父兄に起こされた。ぼーっとした頭で,それでもトイレに行けということだろうと察して,起きた。ところが,トイレが終わって布団に入るとすぐ,別の父兄が起こしに来た。私は,よく意味が分からなかったが,とりあえずトイレに行った。おかげで,次の日は寝ぼけ眼であった。父兄は,こういったことには慣れていないだろから,指示の行き違いがあったのだろう。
今でも,小学生の宿泊学習はあるようだ。今は,紙オムツがあるので,先生の部屋で着替えるらしい。それよりも,風呂で身体を拭いたりできないとか,リュックの中身を整理して出し入れ出来ないとか,また,髪の長い女子児童で,自分で髪を結わえることが出来ない子が多いとか,もっとレベルの低い話がネットに載っている。私の子供の頃は,女の子はかなりしっかりしていた記憶があるのだが。
とにかく,寝小便については,父母の対応に感謝している。
ところで,小便とは直接関係ないけれども,トイレ繋がりで思い出がある。私が小学校の頃は,検便があった。もう約60年も前の話であるから,どうやって便をとったのか記憶にない。ただ,当時は和式の水洗トイレだ。だから,ウンチが便器に残るので,採り易かったと思われる。確か,マッチ棒のようなもので,便を一切れ採り,ビニールの袋に棒ごと入れる。それをさらに,マッチ箱によく似た箱に入れて,提出したものと思う。保健委員というのがいて,朝,大きな紙袋を持って,みんなの便を集めて廻るのだった。さすがに,皆,キャーキャー言ったものである。子供であるから,腸の病気を見つける訳ではない。体内に寄生虫がいないか調べるためである。
検便については,何故かよく覚えている逸話がある。子供が便をとるのを忘れて登校した。その子のお母さんが,慌てて自分の便を取り,学校に届けたというのである。本当の話かどうかわからない。ただ,お母さんの気持ちがよく分かった。小走りで,便を学校に持って来るお母さんの,一生懸命な顔を,何故か思い浮かべるのだった。
検便は,そのうち無くなり,蟯虫(ぎょうちゅう)検査に変わった。使うのは,ポキールという商品名の,粘着シートである。朝,起き掛けに,その接着剤のついた面を肛門に押し付けて,そのシートを提出するのである。回虫のような大きな虫は少なくなり,小さな蟯虫がいつまでも残ったらしい。蟯虫は,朝,肛門の回りに卵を産む。そうすると,肛門のあたりが痒くなるという。それを手で掻くと,卵が手に付き,そこから他人や自分にうつるのである。その卵を,ポキールで見つけるのだ。私の時代は,結構この虫を持つ子供がおり,虫下しを処方されていた。
ところで,先に触れた海浜学校の集合写真には,母が写っている。私は,母が一緒に行ったことを,よく覚えていない。何人か,保護者がついて行ったようだ。
また,卒業後に撮った,同学年の担任の先生方の集合写真がある。そこには父も写っていた。どこかのホテルか旅館の部屋のようだ。それとも,割烹だったのかもしれない。父は何か役員でもしていたのだろうか?これも,私には記憶がない。私は6年生の時,男の先生が担任だった。私の嫌な性格を,その先生にずいぶん見せつけた覚えがある。しかし,この席では,そういった話は無かったようだ。記憶が薄れ,また父母も亡くなり,何があったのか分からなくなってしまった。もう聞くことができない。悲しいことである。