私が小学校4年生のとき,共稼ぎの夫婦から託児の依頼があった。私の同級生の父親が,国鉄(現JR)に勤めていた。同級生の家族は,国鉄職員の宿舎(2階建ての木造集合アパート)に住んでいた。その宿舎は,私の家の近所にある。ある日,その同僚の若夫婦に女の子が生まれた。その母親は看護師で,共稼ぎだった。母親は,仕事を辞める気は無かった。だから,ひと月も休めば,両親共に勤めに出るつもりだ。まだ,寿退社が当たり前の時代である。託児所など殆どなかった。そこで,専業主婦の母に白羽の矢が当たったのである。早々に,その同級生の母親から,母に託児の依頼が来た。
母は最初,人の子を預かるのは無理だと断った。しかし,最後は押し切られた形になった。私の家に来たとき,女児はまだ生後3か月だった。そんなわけで私に突然,妹ができた。ちょうど10歳違いであった。その3年後には弟が生まれ,姉弟各々が中学生になるまで預かった。
どちらも伸び伸びと育った。彼らは,学校から私の家に帰ると「お腹すいた」と言って,勝手に冷蔵庫を開けるほど,我が家に馴染んだ。そんな頃には,父も母も2人を我が子のように可愛がった。今思えば,我が子というよりも,孫と一緒に暮らしている感覚である。
その後,私が高校生になるまで,私と2人との接点は殆どなかった。2人とも赤ちゃんで,遊べる年齢ではなかった。だから,2人が幼稚園・小学校に行くようになって,私も一緒に遊ぶようになった。また,父は子供が好きだったから,2人を連れてよく出かけた。父は通勤のため,自家用車を持っていた。その車を使って,土日やお盆などの休日に,海や観光地などへ行った。父は,写真を撮るのも好きで,姉弟の小さかった頃の写真がたくさん残っている。父も楽しかったのだろうと想像する。
2人とも,背丈は普通である。しかし,顔が小さく,体も細い。両親ともそういうことは無いので,不思議である。父方の親戚にも会ったことがあるが,特に細い人はいなかった。
姉は,女の子らしい可愛い子である。素直によく笑う。ただし,弟には乱暴である。幼い頃1度,弟に大けがをさせた。追いかけっこをして,姉が後ろから弟を突き飛ばした。転んだ弟は,家具にぶつかって口を切った。かなり血が出たので,私の母が慌てて親に電話した。弟は,唇を大きく切ったので,縫うことになった。幸い大事はなかったけれども,弟は縫った糸が気になって,しょっちゅう引っ張る。だから,なかなか治らなかった。もちろん,これは例外的な事故であって,姉本人は,意地悪な性格ではない。むしろ,朗らかな優しい性格である。
姉の顔は母親似である。幼い頃は,そうでもなかった。ところが,上の前歯2本が乳歯から生え変わると,母親と瓜二つの顔になった。前歯2本が,とびぬけて大きかったのである。
姉の通った幼稚園は,私の家のすぐ近くにある。神社が経営する園だった。私も,半年ほど通ったことがある。当時は,神社や寺といった宗教法人が,幼稚園や保育園をやっていた。社会福祉の思いだったのだろうか。現代は,園は学校法人もしくは社会福祉法人となっている。彼女は,楽しく園に通っていたが,ある日お漏らしをした。園のお友達が,よくお漏らしをする。そして,そのお友達が,先生に優しく着替えさせてもらうのを見て,とても羨ましく思っていたらしい。そこである日,わざとお漏らしをして,替えのズボンを嬉しそうに履いて来たのである。なんとも愛らしいではないか。
私が高校生になってから,夏休みなどの長期の休みによく遊ぶようになった。私は,対人が苦手である。特に目上の人と対峙すると,縮み上がってしまう。それの裏返しなのであろう,子供の相手はとても楽しかった。姉も,私と遊ぶのを喜んでいた。勿論,ままごとなどはできない。だから,本を読んだり,遊具で遊んだり,相撲を取ったりした。私は,冗談を交えて子供と遊ぶのが得意だった。例えば,相撲を取っていても,わざと負けそうになる。しかし,なかなか転ばない。何度も転びそうな格好をして,やっとのことで転ぶと,彼女は大喜びするのであった。
姉は,私の学区内の小学校に入学した。ちょうどその頃,木造2階建てだった小学校が,鉄筋3階建てに改築された。私の卒業アルバムには,大正時代に建てられた木造校舎が写っている。それが,木造時代の最後に近い年に当たる。
彼女は,刺激の強い食べ物を好んだ。ある日,炬燵に寝ころび,母の作った梅干をパクパク食べながら漫画を読んでいた。はちみつをたっぷり入れた甘酸っぱい大きな梅干しである。そうしているうちに,壺に入っていた梅干を,全部ペロリと食べてしまった。母もただ笑って,呆れていた。だからと言って,間食を好きなようにさせることは無かったので,姉弟とも,太ることは無かった。
2人の両親は,彼らが小学生の頃,郊外に家を建てた。その家では猫を飼っていたから,遊びに行くと猫のトイレの臭いがした。また,猫は毛が抜けるので,衣服に毛がついて嫌だった。
姉は,小学校の高学年頃から,下半身が太いと悩んでいた。中背だし,細身なので,特別太いようには見えなかったが,女の子特有の悩みなのであろう。
彼女は,私のことを気に入っていた。ときおり同級生の女の子が遊びに来ると,私を紹介して,私がカッコいいか聞くのだった。私は痩せていて,とてもハンサムとは言えない。だから,そのたびに恥ずかしい思いをした。
中学生になって手を離れ,寂しくなった。その後彼女は,私立の高校を卒業,東京のデザイン専門学校に入学した。彼女は,そこで運命の男性と出会い,デキ婚した。千葉の八千代松陰高校でバスケをやっていたらしい。結婚を決めたあと,暮れから正月にかけて,2人で私の父母の家へ訪れた。相手は,ハンサムで背が高い。しかも彼は,どこに行ってもリラックスできた。私と真逆の性格である。しかし,私が結婚して間もないというのに,彼らはまだ二十歳だ。その後彼らには,2人の子供ができた。その子供達の年齢は,私の子供達とほぼ同じである。
彼女の夫君の実家は,店舗用テントの施工・販売をする会社をやっている。姉は,そこで事務をするようになった。夫は,長男であり父親から会社を継いで,社長になった。更に,彼女の弟も高校を卒業して,その会社で雇ってもらうことになった。どういういきさつなのか,私には分からない。しかし,長いこと勤めているので,それなりに真面目にやっているのだろう。
その後はめったに会うことは無かった。出張ついでに,千葉で彼女と会ったことがある。第1子の幼い男の子を連れていた。彼女は,小学校を卒業する頃に比べ,少し背丈が大きくなった程度で,全く変わっていない。私が息子にプレゼントをあげると,嬉しそうにしていた。プレゼントは,私が買ったわけではなく,元々持っていたものや飛行機の中でCAにもらったものだと思うが,何だったか忘れてしまった。歳は取りたくない。
母の末期に,わざわざ病院まで見舞いに来てくれた。彼女は,もう50歳に近かったが,やはりちっとも変っていなかった。意識がもうろうとしている母に,優しく話しかけてくれた。彼女が母に「わかる?」と聞いたら,母が「わかるよう」と静かに言って,こっくり頷いたので,一同びっくりした。その頃には,母は呼びかけに,ほとんど反応しなかったのである。
私は,20代半ばの頃,新車を買った。トヨタ・カムリ,1800㏄である。手元のお金では足りなかったので,50を会社から借りた。上半分がシルバー,下半分が黒のツートンカラーである。当時大ヒットした,徳大寺有恒氏の『間違いだらけのクルマ選び』シリーズを読んで決めた。と言えば聞こえがいいが,ただの「格好つけ」である。
そのとき,姉は高校生だった。私が,実家にいるときに,彼女から電話が来た。近所の政令指定都市Tへドライブに行きたいという。港を見たいそうだ。私は,約束の時間に彼女を迎えに行った。彼女の両親が,一軒家を立てて住んでいた頃である。彼女は,可愛らしい服装で出て来た。昼ごはんも作ってきたと言って,ランチバッグを指さした。彼女を乗せて,早速T市へ向かった。
私の住むS市からT市へ行くのに,2通りの道がある。一つは,古くからある国道H号線だ。S市を北上し,隣町を過ぎて少し行った先から,右手の山へ入って行く。途中,峠を越えて,温泉街を過ぎると,あとはJR線沿いにT市へ向かう。古くからある道路である。
もう一つは,S市から東へ行き,県庁を過ぎて,山へ入って行く。その当時,バイパス線ができて利用しやすくなった,国道G号線である。峠を越え,ダムを見た後,T市の南端に到達する道だ。国道H号線よりも少し距離が短い。私は,当時はその道路を主に使っていた。現在は,その道路と並行して,高速道路が通っている。まだ全線は開通しておらず,西方の山を横切る道路部分だけが工事中である。
姉に聞けば,国道H号線,峠から行って,峠の途中にある「大滝」の所でお昼にしたいと言う。綺麗な川と滝がある。大滝というほどの落差のある滝ではないが,なかなか風光明媚な所である。しばらく,国道を北上していたが,なかなか峠への道が見えてこない。何しろ,何年も使ったことのない道であるから,忘れてしまったのだ。峠への入口は覚えているのだけれども,どのあたりだったのかすっかり忘れている。どんどん北上して,北隣の町を過ぎてしまったが,まだ見えてこない。行き過ぎてしまったのではないかと,心配になってきた。そのまま行ってしまったら,T市へ到着する時間も遅くなってしまう。私は,ついに我慢できなくなって,引き返し,別の峠から行くことにした。姉は,不満そうだったが,わがままな運転手がそういうのであるから仕方がない。
Uターンした場所は,国道H号線との合流地点まで,あと1kmもないところだったのだ。帰ってから確認してがっくりした。しかし,後の祭りである。それでも,ロスはあったが,別の峠の方がT市への距離は短いから,それなりの時間に港へ着けるだろう。姉は,大滝で昼ごはんにしようと考えていたから,ちょっと拗ねていた。それでも,山道に入る頃には,機嫌を直してくれた。山を下りて,もうすぐT市に入ろうかという途上に,ダム湖がある。なかなか見晴らし明媚な場所である。湖が見える駐車スペースで,お昼を取ることにした。お弁当は,綺麗にこしらえてあった。それを,湖を見ながら美味しくいただいて,勇躍T市へ向かった。T市内は,学生時代によく歩いた。だから,道はよく知っていたけれども,車で通るのは初めてである。一方通行や4車線道路に戸惑ったり,右折レーンが無かったりと,市内駅前で右往左往してしまった。それでも,何とか港にたどり着いた。
特に何もない,だだっ広い護岸である。当時の思い出は,それだけだ。そこがどういうところだったか,記憶が怪しい。そこで,仕方がないので,Googleマップを眺めてみた。すると,なかなか広い。鉄材や穀物,運送など輸出入の工場や営業所,また物流会社がひしめいている。大きな石油基地もある。また,いくつか埠頭があり,湾の一番奥が,フェリー乗り場である。港からは,名古屋,苫小牧行きが発着している。空は曇っていて,風が強い。姉の髪も,風に揺れた。彼女は,じっと海を見つめている。何分そこに立っていただろうか。彼女は,ゆっくり私の方を見て「ありがとう。満足した」と言った。
帰りは,2人で楽しくおしゃべりをしながら,順調に峠を越した。そして,彼女を家に送って行った。ところが実は,あとで話を聞くと,彼女は私を好きで,将来結婚したいと言いたかったらしい。もちろんそんなこと,簡単に言えるはずがない。しかも,私の方には,全くそんな準備など無かったのだから。もし言われても,私はただびっくりするだけだっただろう。それは彼女にも,道中に話をしていて分かったものと思う。
彼女は,兄妹と同じである。一般的に言って,兄弟姉妹に恋することは少ない。一緒に生活していれば,ウンチやおしっこをし,すっぴん顔をあらゆる角度から見,頭の中のいい面も悪い面も見る。そんな生活を長くしていれば,恋愛感情など湧くはずもないと思うのだが。もっとも,そうでなくても,私は自分のことしか考えず,他人に鈍感な人間ではあった。