映画『F1/エフワン』を観てから、ずいぶん時間が経ちました。
なのにまだ、あれこれ考えています(ひまなの?)。
で、考えれば考えるほど、黙っていられなくなりました。
黙っていられなくなったのは、主人公ソニー・ヘイズ(ブラピ)のこと。
今回はネタバレを含みつつ、ソニーというキャラクターについて深掘りしてみたいと思います。
ハリウッド王道映画が、考えさせてくる
『F1/エフワン』は、主人公・ソニーが挫折と葛藤を経て成功をつかむ、いわゆるハリウッドの王道ストーリー。頭からっぽで楽しめるうえ、エンドロールを観ながら「ああ、いい映画だったな」と満足できる映画です。
その一方で「語らない、見せない」ポイントも多々。台詞による説明は最小限で、映像でほのめかす演出が、意外にも多かったように思います。
映画館を出て家に帰りながら、「あれってもしかして……」と想像をふくらませて楽しむ。そんな愉悦にひたれる作品でもあります。
この男が気になって仕方ない :ソニー・ヘイズ
というわけで主人公ソニー・ヘイズ。
レーサーでありギャンブラー、一匹狼のような人生を送っているソニーは、奔放でどこか破滅的。かつイケメン。そんな男に女が吸いよせられないわけがなく、一度の結婚破棄と、二度の離婚歴があります。
驚くのは、ソニーの持つすべての側面が、ストーリーと密接につながっていること(イケメンはたぶん関係ない)。
それに気づいてからというもの、「あれってもしかして……」と夜中にがばりと起きては眠れなくなる、ソニー不眠症におちいっております。
「ソニー」という名前に込められた意味
まずは名前から。
しつこいけど、主人公の名前は"ソニー"です。
これはみなさんご存知、世界の「SONY」から取られたものと考えられます。
理由はふたつ。
ひとつは、IMAXクオリティの新しいカメラシステムを、SONYとともに開発したから(スポンサー的にも一石二鳥)。
ふたつめはSONYの業績と、ソニーの人生の浮き沈みが酷似しているから。
SONY:
1990年代までイケイケ、2000年以降に凋落。2010年代には金融界から投資不適格企業と評される。
2020年代、過去最高益を更新。
ソニー:
1990年代F1デビュー、2000年以降は没落。
2020年代、F1の最終戦で優勝。
つまりこの名前には、90年代に終わったかに見えた"ソニー"が、2020年代に再ブレイクするというストーリーが織り込まれています。
筋金入りのギャンブラー
ソニーは筋金入りのギャンブラー。ギャンブルに入れこみすぎて、破産まで経験済みです(そりゃ離婚しますわね)。
そしてこれこそが、ソニーというキャラクターのキモ。頭の回転が速く、先の先まで読み切った戦略をしかける。チーム陣営も観客も、その一手に驚かされる。
「ドライバーの戦略に振り回されるチーム陣営」なんて、実際のF1ではありえない。それでも「アイツならやりかねない」と納得してしまう。
なぜならソニーが生粋のギャンブラーで、勝つためにはギリギリアウトな戦略も辞さないと、観客は知っているからです。
レーサーでありながらギャンブラー。今の時代には100%許されません(イメージが悪い→スポンサーを獲得できない→チームが雇ってくれない)。
だけどソニーが活躍したのは90年代。90年代のレーサーなら、もしかしたらありえたかも……と、納得してしまう絶妙な設定です。
加えてギャンブラーらしく、なかなかのポーカーフェイス。怒りは即爆発させるのに、感情を悟られたくない場面では、すばやく逆の表情をつくります。
ルーティン=命綱
レースに関して、ソニーには変てこりんなジンクス(ルーティン)がいくつかあり、それらをかたくなに守っています。
①左右柄違いの靴下を履く
→チーム内で、同じジンクスが徐々に伝染していくのがコミカル。チームがソニーを受け入れていくバロメーターにも。
②トランプを一枚、レーシングスーツのポケットに入れる
→ギャンブラーらしいルーティン。ちなみにトランプの扱いはプロ並みで、手裏剣みたいに投げる技はお見事です。
③父親とのツーショット写真前に腕時計を置く
→父親の形見らしい腕時計。高級時計を断る場面からも、それがどれほど大切なものかが伝わります。
④乗車前に膝を折って祈る
→奔放に見えるソニーが、目を閉じ膝をつき、短い祈りを捧げる。命がかかっていることを、何度でも思い出させてくれる場面です。
⑤トロフィーには触れない
→「ツキが逃げていく」と触らない。そんなレーサーはいないので、強く印象に残ります。
⑥同じ場所にとどまらない
→優勝しようが懇願されようが、レース後はさっさと去る。
ルーティンをひとつでも抜かすと軽いパニックに陥るという危険な一面も。
他人から見れば「変てこりん」でも、当人には命と同じくらい、大事な儀式。レーサーってなんて危うく、繊細な生き物なんだろうと感じさせられます。
いずれのジンクス(ルーティン)について、理由や詳細は一切明かされません。
「お父さんから教わったのかな」「ジュニア時代のカート大会で優勝した時からのジンクスかな」と妄想がふくらみます。
アメリカ人F1レーサーというレア設定
ソニーはアメリカ人です。どうでもよさそうに思えるかもしれませんが、実は重要な設定。なぜなら、アメリカ人のF1レーサーって意外と珍しいんです。
国内レース(インディカーやNASCAR)の方が人気が高く、F1を目指すためにはジュニア時代にヨーロッパへ渡って武者修行が必要。資金面でもハードルが高い。
しかもアメリカ資本のチームが存在しない。アメリカ人用に舗装されたレールが、F1には敷かれていないのです。
そんな中でF1のシートにおさまったソニー。
「ジャッキ係だった」というお父さんの影響が大きかったのではないでしょうか。はじめてカートに乗った日から、変わらずにソニーを才能を信じてくれたのだと思います。
ソニーをカートに乗せるため、資金繰りには相当苦労したはず。幼いソニーも、そのことを気に病んでいたかもしれません。
作中、お父さんとのツーショット写真が何度も映し出されます。ソニーにとって唯一の家族はお父さん一人だと、その写真は教えてくれます。
写真の真価が発揮されるのは、表彰台のあと、一人になったソニーが頭を垂れる瞬間。父親の不在が身に迫るような、胸をしめつけるシーンです。
ヒーローとしてのソニー・ヘイズ
ソニーはギャンブラーで、一見すると問題児。でもじつは、登場シーンからすでにヒーロー役を担ってるんです。
ヒーローであるがゆえに、ソニー自身の内面の変化はほとんどありません(たぶん)。F1参戦は結果的に、デイトナからバハへ向かう「寄り道」。F1に乗ろうが乗るまいが、ソニーの信念や人生は変わりません。
変わるのは、ソニーをとりまく周囲のほう。
とくに新人チームメイト・ジョシュアの変化は顕著です。SNSや世間の評判ばかり気にしていたジョシュアが、レースだけに集中しているソニーを観て、徐々に変わっていきます。
ソニーがチームに初ポイントをもたらすと、空気も一変。だらけたムードは消え、プランCのようなリスキーな戦略も選べるように。
アイツならやってくれる、と信じられるヒーローが加わったことで、チーム全体が「勝ちに行く集団」へと生まれ変わっていきます。
加えてソニーには、ヒーローの条件である自己犠牲の精神も備わっています。
自分の勝利を捨ててでも、ジョシュアを勝たせようと自らオトリに回る。ソニーにとって大事なのは、自分の勝利ではなく、チームとルーベンの勝利なのです。
それでも人生は続いていく
ジンクスの項でも書いたとおり、ソニーは同じ場所にとどまりません。最終戦が終わるや否や、さっさと着替えてチームを去ります。
問題はそのあと。F1で優勝してワーイ、だけじゃ、ちょっと物足りない。
映画がどこで終わるのか。どう着地するのか。
オープニングで伏線としてさりげなく映っていたバハ(メキシコ)の砂漠レースに、ついにソニーは参戦します。
この鮮やかな転換! そうだよ、F1だけがすべてじゃないんだよ……そんな気持ちにさせられます。
ソニーが幸せそうに見えるのは、アドレナリンで脳が吹っ飛ぶような興奮を味わったからでも、F1で勝ったからでもない。そんな、爆発するような体験だけが幸せってわけじゃない。
過去の栄光があろうとなかろうと、それでも人生は続いていく。だから、その時やりたいことをやっていれば、幸せなんだな。
夕暮れの砂漠をドライブするソニーの姿を観ていると、そんなふうに思えてきます。
海のシーンで幕が上がった『F1/エフワン』は、夕暮れの海で幕を閉じます。静かで、満ち足りたラストシーンでした。
* * *
夜中にふと思い出すのは、ソニーのことでした。
考察めいたこともあれこれ考えたけど、「笑うと子犬みたいだったな」とか、そんなミーハーなことばかり。
映画を思い返して、ああでもないこうでもないと考えたり、妄想を飛躍させたりするのは久しぶりで、楽しかったです。
おかげで、すっごい睡眠不足だけど。