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ヒロニューのブログ
人生を充実させたいアラフィフ独身おじさんのつぶやきです。
知られざる先人の努力の上に(経度への挑戦)
面白い本を読んだので久々に投稿。
きっかけは「はてな」ブックマークで見た何かの記事。
江戸時代に伊能忠敬が造った日本地図は精度が高いことで有名だが、現代の目で見ると縦(南北)より横(東西)の精度が低いらしい。これは緯度と経度で測定精度が違うことの影響だそうで、この本「経度への挑戦」を勧められていた。
なるほど。こういう本好きだわ~
地球を縦横の座標で見ると縦線が経度、横線が緯度になる。昔は海上で自分の位置を把握するのに星を頼りにしていたが、分かるのは緯度(南北)で、地球の自転が影響する経度(東西)はほとんど分からなかったそうだ。
海上で自分の正確な位置が分からないことは、船の座礁や遭難を招く海難事故に直結する。海難事故の多発に困っていた英国政府は1714年に「経度法」を制定し広くアイデアを求めるようになる。
”海上で経度を確定する「実用的かつ有効な」手段を見つけたものは国王の身代金に相当する賞金を与える。”
玉石混合。様々なアイデアが出されるがほとんどがインチキ臭い内容だったそうだ。そこへ本書の主人公時計職人ジョン・ハリソンが登場。
1730年に基準時間が分かれば移動先の時間との差から経度を算出することができると、環境に影響されない時計(クロノメーター)のアイデアを提案する。
1735年1号機H-1を製作。
1741年2号機H-2を製作。
1757年3号機H-3を製作。
1759年4号機H-4を製作。
結局認定してもらえたのは1773年。
時計の話だが認定までかなり時間がかかっている。現代と当時の人との時間感覚が違うからかとも思えたがそれ以上だ。
読む前はプロジェクトXみたいな苦労から成功の物語を勝手に想像していたのだが、ちょっと違った。
問題は技術的課題以上に「認めてくれない経度評議委員会」だった。
委員会には天文学者などインテリが多く経度測定に天体測定(月距法)を推していた。月の軌道周期は18年もあるらしく、この頃ようやく解読されつつあり月や星の位置から経度が計算できるようになっていたそうだ。
委員会はハリソンの時計を正面から認めず、あくまで天体測定の補助として考えていた。それでも完全に無視する訳では無く、全ての時計を没収し情報公開したうえで同じものを2個作って性能が再現できることを賞金提出の条件としてきた。
元々経度法に無いことまで条件とするこの性格の悪さ。適当な実験やハリソンの時計に対する敬意の無さが目に余る。読んでいてイライラしてしまった。
ジョン・ハリソンはコツコツと精巧な時計を作る職人だけあって人にも忍耐強い人だったのかも知れない。投げ出すことなく複製1個(H-5)を製作し1776年83歳で亡くなっている。
そこからクロノメーターが大量生産されていき1780年代にはクロノメーターによる経度測定の記録が頻繁に行われていくようになる。結局便利なものに流れていくのだ。大英帝国が世界の海を征服していったのは間違いなくクロノメーター=ジョン・ハリソンのお陰だろう。
今回、緯度と経度の違い、天体測定などざっくりとしか認識していなかったことを改めて知ることが出来た。身の回りのことでも意識すれば色々興味深いことがある。
われわれは先人の苦労を何も知らずに恩恵だけあずかっているんだよな~
感謝。
オッペンハイマーを見た時にも思ったけれど、色々なものを発明していったヨーロッパ人は素晴らしい。なぜ科学技術の発達がヨーロッパから生まれて行ったのだろうか?次なる疑問だ。
現在絶版。図書館で借りた。
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