南海トラフ地震をどう捉えるか?
新しい発表は理解しづらい
2025年9月26日、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)は、南海トラフ巨大地震(マグニチュード8以上)の発生確率を見直し、2つの確率を発表した。従来の「今後30年以内に80%程度」から、時間予測モデルでは「60~90%程度以上」、新たに導入したポアソン分布モデルでは「20~50%程度」と幅広い範囲を示した。
この発表は、NHKニュースで報じられたが、関谷直也教授(東京大学)の「分かりづらい」との指摘の通り、一般市民にとって理解することが難しい。
従来の単一値(80%)は、切迫性を明確に伝えていたが、2つのモデルから、どの数字を信じればよいか混乱を招く。
従来は時間予測モデル(BPT分布)のみで、1946年南海地震からの経過時間(約80年)と周期性(90~150年)に基づき高確率を提示していたが、新モデル導入で確率が20%まで下がったことは、「リスクが低い」と誤解される恐れもある。
内閣府の被害想定(2025年3月、死者最大29.8万人、津波34m、経済被害292兆)と連動せず、市民の防災行動を促すメッセージが弱い。
なぜ2つの予測が出たのか
2つの確率が出た背景は、時間予測モデルとポアソン分布モデルの理論的違いにある。
時間予測モデル(BPT分布)は、地震の発生間隔(90~150年)が正規分布や対数正規分布に従うと仮定し、経過時間(80年)が長いほど確率が上昇する。歴史データ(例:1854年安政、1946年昭和)と地質データ(室戸の隆起記録)に基づき、60~90%以上を算出した。周期性を重視するが、データ誤差(例:古文書の解釈)や周期性の不確実性が限界となる。
ポアソン分布モデルは、地震を時間に依存しないランダムイベントの仮定が含まれる。過去の発生頻度(例:1000年で10回、平均100年に1回)から、30年以内の確率を20~50%と算出した。時間経過による確率上昇を考慮せず、データ誤差や周期性の不確実性を補う。
今回の見直しは、室戸の隆起データや古文書の誤差を再検証し、単一モデル依存を避けるため、両モデルを併用した。報道にあるように、鷺谷威センター長(名古屋大学)の「科学の限界を示す」とのコメントは、モデル間の確率の幅(20~90%)が不確実性を反映することを意味する。
理論が変わっていく学問の背景
地震学は、データ不足と自然現象の複雑さから、理論が変遷する学問である。
20世紀後半、時間予測モデル(BPT分布)は、周期的巨大地震(例:南海トラフ)の予測に適するとされ、日本で標準的に使用された。
しかし、データ誤差(例:古文書の曖昧さ)やイレギュラーな間隔(例:100年未満や200年超)が問題視され、単一モデルへの依存は批判を浴びた。
現代の地震学では、確率論的地震ハザード評価(PSHA)が主流となり、ポアソン分布モデルが中小地震や不確実性の高いケースで広く採用される。ポアソン分布は、地震をランダムイベントとみなし、時間依存性を排除することで、周期性の仮定に依存しない柔軟性を提供する。例として、米国地質調査所(USGS)のUCERF3モデルは、ポアソン分布を基盤に時間依存モデルを補完するアンサンブルアプローチを採用している。
日本の今回の見直しは、このグローバルトレンドに追随し、ポアソン分布を導入してランダム性を強調した。時間予測モデルの「周期性」から、ポアソン分布の「ランダム性」への移行は、単一モデル依存からの脱却を示す中間段階である。
ただし、ランダム性のパラメータ(例:平均発生率)は、データ選択に主観性が伴い、完全な客観性は難しい。
ゲラー教授の示唆と、対処のありかた
この問題は実は複雑である。ロバート・ゲラー教授(東京大学名誉教授)は、地震予測の不可能性を一貫して主張し、確率モデル(時間予測モデル、ポアソン分布)を「デタラメ(nonsense)」と批判している。2011年の Nature 論文などで、地震の複雑な非線形プロセス(例:プレート運動の不均一性)を理由に、正確な予測は不可能と述べている。そこで確率値(例:20~90%)は過度な確信を与え、混乱を招くと指摘した。
ゲラー教授の示唆は、別の視点に立つなら、確率管理より最大リスク(例:津波34m、死者29.8万人)への備えを優先すべきというものである。確かに、対処のありかたは、確率論ではなく、具体的な行動計画にあるだろう。例として、耐震診断の補助金活用、家具固定、避難経路確認、津波避難訓練のスケジュール化(例:「今週中に避難マップ確認」「1か月以内に耐震化」)が挙げられる。
NHK報道において、鷺谷威センター長が「20%も低い数字ではない」と強調したように、確率の幅は混乱を招き、防災行動を弱める。
むしろ、ゲラー教授の視点に基づけば、確率論的な議論は別枠として、被害想定(経済被害292兆、避難者1,230万人)に焦点を当て、「いつまでに何をすべきか」を明確に伝えるべきであろう。
高知県の「犠牲者ゼロ」取り組み(避難路整備、訓練)は好事例だが、全国展開が急務である。地震は「発生しうる」もので、確率より、それが発生した歳の対応として実践的防災が求められる。
| 固定リンク