路面電車のことを中学生のころの思い出として書いているうちに、芋づる式に当時の光景がよみがえってきました。
たとえば「木枯し紋次郎」。テレビシリーズが始まったのが1972年、そして1973年に第一期が終了しました。ちょうど私が中学1年から2年にかけての頃で、毎週夢中になって観ていたものです。くわえた楊枝をあのように勢いよく飛ばせるものか、何度か試しもしました。やはり、中2といえば子どもなのです。
この番組を熱心に観ていた影響なのか、今の自分の性格にも紋次郎の影が差している気がします。興味のないことには、ふっと冷たくなる。心のどこかで「あっしには関わりのないことでござんす」とつぶやきながら。ただ、この決め台詞を口にしても、もう周囲に分かってくれる人はいません(注1)。
思い返せば、あさま山荘事件が1972年の2月。直後には凄惨な連合赤軍の山岳ベース事件も明らかになり、日本中が重苦しい空気に覆われていました(注2)。そう考えると、木枯し紋次郎は時代背景を背負っていたとも言えるのですが、時代背景に照らせば、どこか「のんきなドラマ」にも見えてきます。むしろ、その適度なのんきさこそが、時代の息苦しさを少し「割って」、視聴者が飲み込みやすくしていたのかもしれません。
半世紀後のいま、私たちが日常的に観ているドラマも、未来から振り返れば「あんな時代によくもまあ」と評されるのかもしれません。ところが最近、仕事で関わる若い人たちに聞いてみると、誰もテレビドラマを見ていないのだそうです。代わりにネット動画やゲーム、SNSが時間を埋めている。
だとすれば、メディアの乱立が現代の「のんきさ」の役割を果たし、時代の重さを上手に「割って」くれているのかもしれません。
——若い人に文意が通じないといけないので、注を付します——
(注1)木枯し紋次郎は笹沢左保の股旅時代小説シリーズを原作とし、監督・市川崑、主演・中村敦夫でテレビドラマ化された。最高視聴率30%を超える人気作品で、主人公の決め台詞「あっしにはかかわりのないことでござんす」は流行語となった。紋次郎はいつも長楊枝をくわえており、いざという時にはこれを吹いて飛ばし、相手の急所を突くという離れ業を見せた。
(注2)山岳ベース事件とは、1971年から72年にかけて連合赤軍が群馬県の山中に設けたアジトで起きたリンチ殺人事件。社会に大きな衝撃を与え、あさま山荘事件とともに新左翼運動退潮の契機となった。道浦母都子の歌集『無縁の抒情』は当時の空気を伝えている。