今年の日本の夏は、異常なほどの猛暑だったと聞く。ちょうど10年前の夏は、違う意味で熱かった。日本の将来を思う多くの人々の熱気が、国会を取り巻いていた。そんな人々の気持ちに反して、安保法案、いわゆる憲法違反の戦争法案が強行採決された。10年ひと昔というから、今の多くの20代の若者たちは、日本の憲政史上における大きな転換点となったこの法案の可決について知らないだろう。だが、紅葉世代にとっては、10年前のことなど、つい昨日のことのようなのだ。何が大きな転換点だったかというと、日本国憲法に違反する集団的自衛権を認める法律が通ったということ。ふるさと日本の命運を決めることになるだろう法律のことなので、私も遠く離れたスイスから注目していた。記憶にたよって、あの2015年の熱い日本の夏を思い出してみよう。
日本国憲法は、第9条で戦力を放棄している。けれども、現実的な解釈として自衛権は認められているし、自衛隊も存在している。学術的な解釈はわからないが、一般通念としてはそのように理解されているようだ。ただし、それは実際に攻められた時に行使する自衛権であって、積極的な自衛権ではない。つまり、自国が攻撃された時に発動する個別的自衛権ということらしい。安倍政権までは自民党の重鎮たちさえも、その矩を踰えることはなかった。自らが兵に取られ、悲惨な戦争を肌身を通して経験した人たちだからだろう。ところが、安倍政権は集団的自衛権を言い出して、衆議院で強行採決に及んだ。この集団的自衛権には、さすがに保守系の憲法学者さえも、衆院憲法審査会で憲法違反だという声を上げたが、安倍政権は聞く耳を持たなかった。議論の前に、何が何でもこの法案を通すのだとの意思が感じられた。でも、なぜなのだろう。当時の首相は、自らの知性と判断によって物事を決めるタイプには見受けられなかったので、どこかからの大きな圧力でもあったのだろうか。この集団的自衛権の容認によって、日本は他国が始めた戦争に加担できるようになった。たとえば、アメリカが戦争を始めて攻撃されたら、日本が攻撃されていなくても戦争せざるを得なくなった。
衆議院で可決されたのは7月。その後に参議院での議論が待っていた。日本の制度では、参議院で否決されれば、衆議院に差し戻されて再び議論されることになっている。あの夏は、参議院での否決を期待して、連日のように国会前で集会が行われていた。特筆すべきなのは、この集会が党や組合などの動員ではなくて、一般の人たちの自発的な集まりだったということ。こちらの新聞でも取り上げられたが、シールズという学生のグループが中心となって活動を盛り上げていたことも、新しい運動の姿だった。そして、そのシールズには党派性がなくて、いろいろな意見を持った学生たちが、衆院で可決された集団的自衛権が違憲だという一点で集まっていたこと。学生運動が激しかった時代を兄姉世代を通して見聞した人間には、あの若者たちの運動が新鮮に映った。というのは、東大安田講堂占拠などの学生たちのアジ演説とは全く違う発言の仕方だったからだ。あの時の学生たちの演説は、「ワレワレはー、ナントカのー」といった風にいつも大声の絶叫調だった。けれども、50年近く経ったシールズの運動では、普通の学生たちが、普通の話し方でマイクを取って語り、最後には「私は集団的自衛権に反対します」と自らの名前を言って静かにマイクを置く。デモも、学業やバイトの合間に参加して、時間になったら自然に抜けていくスタイル。その自由で個人的な姿に、これから日本を担っていく若者たちへの希望を見た。シールズの中心的な一人だったある男子学生が、安保法制に関する特別委員会の中央公聴会に出席した。彼の姿に新鮮な感動を覚えたのを思い出す。ああ、この若者は自分の立場をよくわかっているのだなと。普段の集会ではTシャツにジーパン、髪も茶髪にしているのに、あの公聴会では髪を黒に戻してまとめ、白いワイシャツに黒っぽいジャケット姿だった。妙なことを覚えているようだが、これは彼が広く一般人を代表して来ているのだという自覚の表れなんだと感じたからだ。つまり、俺が俺がではなくて、自分の後ろに様々な若者たちがいることを理解しているからこそ、あの時代の一般的なTPOに即した格好をして来たのだろうと思ったからだ。与党の議員たちは、自らの将来と日本の未来を憂う若者たちの声をいとも簡単に無視して、強行採決に臨んだ。深く考えもせず、党の中での保身のために、若者たちの誠実さを足蹴にして投票した議員たちは不誠実極まりない。9月17日、幅広い国民の声を踏み躙って、安保法制は参議院でも強行採決された。その日、国会前には何十万人もの人が集まっていた。国会内では、野党議員たちが身体を張って反対し、外の市民たちに国会内の様子を伝えていた。あの日の映像が瞼に残っている。そして、今でも時々シールズの若者たちのことを考える。とくに、リーダー格だったあの若者はどうしているのだろうかと。
当時の朝日新聞の声の欄だったか、ある高齢の方の投稿が載っていて、強く印象に残った。私の記憶違いでなければ、戦争末期に人間魚雷の無線から、多くの若い兵士たちの最後の叫びを聞いた方の投稿だった。その方はこう書いていた。シールズの若者たちが国会前に集まっている姿に、自分と同世代の戦争で死んでいった若者たちが重なる。彼らが今蘇って、無念の思いを胸に国会前に集まっているようだと。それを読んだ時、亡くなっていった若者たちの思いに込み上げるものがあった。若い命を「お国」に捧げたが、今その「お国」は何をやっているのだろう。「お国」の政治家たちは、日本の舵取りは覚束ず、自らの利益と保身に走るだけ。自分たちは何のために大切な命を捧げさせられたのだろうかと。この国は、また再び自分たちのような若者を死地に赴かせるつもりかと。
日本では、また自民党の総裁選があるのだという。自分より年下の人間が多くなったから感じるのかもしれないが、歴史を知らない政治家が増えている。政治を志すなら、まずは歴史を学んでほしい。その上で、政治家の使命をきちんと考えてほしい。私の親世代の政治家は、まだ一般教養があったように思うが、今はそれさえも怪しくなっているように見受けられる。政治家であるというのは、本当は大変責任の重いことだと思う。法律を決めるということは、国民の命運を預かることだから。