今週のお題「同級生」
前にも書いたけれど、この夏は高校の同級生4人がスイスに来てくれた。仲良しの一人は、ずっと私がどんな国に住んでいるのか見たいと言っていたが、現役でホームヘルパーの仕事をしていた彼女は、なかなか遠い国に旅する時間が取れなかった。そして、ようやく余裕ができた今、来てくれたのである。彼女とは、むしろ高校を卒業してからの方が付き合いが深い。スイスに来てからは、帰郷するたびに真っ先に連絡して会う友達である。思えば、私がスイスに渡ってからは、お互いにそれぞれ違う文化の中で歳を重ね、今は遠く離れても共に紅葉の時を過ごしているわけだ。
同じ時代を共に経験してきたという意味で、同級生は懐かしい。特に中学高校時代は、子供から大人になる過渡期だから、その6年間は長いし、心身の変化も大きい。その時代をどんな環境で過ごしたかは、その後の人生にもかなりの影響を与えるものだと思う。あの頃は、学生運動が大学で吹き荒れていた時代だ。80年代頃から「心の時代」と言われるようになったが、70年代は「イデオロギーの時代」だったかもしれない。当時、同級生の男子に「君は10年遅れてやって来た女学生みたいだね」と言われたことがあるが、今思えば、実は「10年、いや、それ以上早く来すぎた」のだと思う。だからかもしれないが、あの時代は生きづらかった。20代前半くらいまでは、高校時代を振り返りたくもなかったのだが、今は違う。幹事をやってくれている男子が、私の帰郷に合わせてクラス会を開いてくれる。皆それぞれに人生を重ね成長して、高校の同級生の延長だけではなくて、また「新しい人」との出会いの場ともなった。
振り返ってみれば、おおまかなスケールでも時代背景を同じくするというのは、何気なしに懐かしさがあるものだ。よく「我々の時代は」という言葉を聞くが、それはほぼ「我々が若かった時代は」ということである。どんな歌やドラマが流行っていたかとか、どんな社会的な出来事が起こったのかとか、どんな交通通信手段の中で暮らしていたかとか、どういった時代背景が若い時にあったかということ。そして、それはIT時代の到来までは、かなりの部分が同世代±で共有されていた。つまり、流行りの歌はテレビやラジオから流れて来たものだし、映画は映画館かテレビで観たものだ。ところが、今はそれぞれがストリーミングで、好きな時に好きな音楽を聴いたり動画を観たりしているし – もちろん昔も今も流行りというのはあるけれど – かなり個別化が進んでいる。時代と場所を共にしながらも、全く違う世界に住んでいる場合もあるわけだ。
一つの例として、飛行機の中のエンターテイメントがある。自分の座席の前の背もたれにディスプレイが設置されるようになったのは、いつ頃からだったろう。私が初めてヨーロッパ便に乗ってからしばらくの間は、それはまだなかった。機内の何箇所かに大きなスクリーンが降りてきて、みんなで一緒に提供される映画を観たものだった。あの頃の飛行機のプラスの点は、エコノミークラスでも、まだ座席間隔に余裕があったこと。マイナス点は、喫煙がOKだったこと。喫煙者の席は後ろだったが、狭い機内のことだからタバコが嫌な人も我慢を強いられたものだ。
ちょっとあの頃を思い出してみよう。全日空が国際便を就航してから久しいが、1980年代は、まだヨーロッパ便は日本航空だけだった。私の頭の中では、1990年代後半までは、JALは国際便、ANAは国内便という棲み分けの記憶がある。今はもうJALはチューリッヒに支店を持っていなくて、ANAの支店がジュネーブにあるだけだ。1980年代中頃は、すでにJALの飛行機がアンカレッジを経由して、パリやロンドンを経てチューリッヒまで来ていたと記憶している。1985年頃から、日本の銀行や証券会社が大挙して、金融都市であるチューリッヒに支店を開いたから。このことを話しだすと、話が本筋からちょっと外れてしまうので、この辺については、また別の機会に書いてみたい。
さて、当時の機内のエンターテイメントについてだった。まず、チューリッヒから日本航空機に乗り込むと、すでに日本の雰囲気に包まれる。ステュワーデスさんは、今はフライトアテンダントと言うが、いらっしゃいませと迎えてくれる。乗客はほとんどがグループ旅行の日本人。つまり、ヨーロッパツアーを終えて日本へ帰る人たちである。機内には、日本からの新聞や雑誌が搭載されていて、当時は現地では手に入らなかった日本の情報に触れることができた。機内のスクリーンには、これもまたその日か前の日の朝のNHK「おはよう日本」が映される。飛んでしばらくしてから食事になって、その後免税品の販売、そして、窓のシャッターを下ろして映画の上映だ。今のように個別のディスプレイがなかったから、みんなで一緒に同じ映画を観るのである。飛行機に乗った人たちは、同じエンターテイメントを共有していた。そして、21世紀に入って、飛行機内も世の中も、やがて個別化に向かうのである。
同級生のいいところは、時が経ってお互いに年取っても、会った途端に昔にタイムスリップするところである。どんなにおじさんになっても、男子には君付けだし、女子は結婚して姓が変わっても、昔の苗字だったり、その苗字を捩ったニックネームで呼び合う。学校で会うクラスメートは自分で選んでいるわけではない。それでも、出会った以上は皆んなで時と場を共有する仲、仲良くするのが一番だ。袖擦り合うも他生の縁と言うが、この人生で出会う人たちは、よく考えてみれば自分で選んでいるようで、そうではない。神の配剤なのかどうなのかはわからないが、今という時に巡り合わせて此処に来ていることは確かだ。そこに意味を見るかどうかは、人それぞれだが、興味深いことである。