好きが高じて。

大好きな詩人、萩原朔太郎。
第二詩集の青猫を復刻版で入手した。
復刻版ではあるけど、
これ自体の発行が昭和49年で
すでに古書となってる。

とても、、
とても感動してる。。
朔太郎の言葉、心に少し近づいた。
そんな気持ちにもなったりした。
そしてアンカット製本なので、
自分でペーパーナイフで切っていく。
小さな本ではやったことがあるけど、
ここまでの大きさ、頁数では
生まれて初めてのこと。

ドキドキしながら慎重にやるも、
所々、失敗は少ししたかな。。
ただ不思議だったのは、
失敗したりしても
それが残念とか悲しいとかの
気持ちになることはなくて。
むしろ自分だけの一冊になったと、
逆に嬉しくもなったりした。
昔は本を持つと言うのは
この作業も含めてのことだったんだろうな。

本の重さ。
知の重さ。
かつては本はとても重くて、
書く人にとっても読む人にとっても
とても価値のあるものだったのだろう。
故に
物としての本、知としての本、
どちらの意味でも宝物だったんだろうなぁ、と。
今回の経験は、
ほんの少しではあるけど
その重さ、価値を実感することが出来た
とても貴重な機会だったと思う。
自分にとっても宝物となった。
コレクションとしての入手ではないので、
ガシガシ読み耽っていくつもり。
本当に嬉しいな。

ちなみに、、、
古書での入手なのだけど、
多分、少し切って大変になったんだろうな、
最初の数頁は以前の持ち主が切った跡がある。
頁数や労力を思うと
断念したくなる気持ちもわからなくはない。

いつ頃の時代の持ち主なんだろう。
発売すぐの頃かもしれないし、
ほんの数年前くらいかもしれない。
そこも想いを馳せつつで。

水曜日、十月の始まり。
これもまた大好きな
中也のランボオで
心と身体を満たしていこう。
秋を楽しんで。
「永遠」
「また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去つてしまつた。
見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜に就き
燃ゆる日に就き。
人間共の配慮から、
世間共通の逆上から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし・・・・・・
もとより希望があるものか、
願ひの条があるものか
黙つて黙つて堪忍して・・・・・・
苦痛なんざあ覚悟の前。
繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。
また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去つてしまつた。」
(ランボオ詩集、中原中也訳、岩波文庫、146頁〜148頁)