訓読 >>>
この小川(をがは)霧(きり)ぞ結べるたぎちゆく走井(はしりゐ)の上に言挙(ことあ)げせねど
要旨 >>>
この小川に白い霧が立ち込めている。たぎり落ちる湧き水のところで、言挙げなどしていないのに。
鑑賞 >>>
「河を詠む」歌。「この小川」は、いま目の前を流れる小川に、の意。「たぎちゆく」は、激しく流れている。原文「瀧至」を、タギチイタルを縮めてタギチタルと訓むものもあります。「走井」は、勢いよく湧き出る泉。「言挙げ」は、言葉に出して言うこと。言挙げをすれば霧が立つという信仰を踏まえた歌とみられ、また、この歌から「井」が言挙げ、すなわち誓いの言葉を言う場であったことが窺えます。『古事記』『神代記』にも、天(あま)の真名井(まない)で天照大御神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)が誓約を行ったという記事があります。この歌は、願っているだけで言挙げをしないのに霧が立ち込めたのを喜んでいるものです。
山の雲や川の霧がさかんに立つことは、農耕に必要な豊かな水が得られる前兆とされました。だから、「この小川」に願い通りの霧が立ち込めたことが、今年の豊作のために喜ばれたのです。農耕儀礼の場での歌とされます。