訓読 >>>
3119
明日(あす)よりは恋ひつつ行かむ今夜(こよひ)だに早く宵(よひ)より紐(ひも)解け我妹(わぎも)
3120
今さらに寝(ね)めや我(わ)が背子(せこ)新夜(あらたよ)の一夜(ひとよ)もおちず夢(いめ)に見えこそ
3121
我(わ)が背子(せこ)が使(つかひ)を待つと笠(かさ)も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに
3122
心なき雨にもあるか人目(ひとめ)守(も)り乏(とも)しき妹(いも)に今日(けふ)だに逢はむを
要旨 >>>
〈3119〉明日からは、お前を恋い焦がれながら旅行くことになるだろう。せめて今夜くらいは宵のうちから早く紐を解け、妻よ。
〈3120〉今さら共寝したって仕方ないでしょう。あなた、そんなことより明日からの毎晩毎晩、一夜も欠かさず夢に現れて下さいな。
〈3121〉あなたからの使いが来るのを待って、笠もつけないで幾度も門に出て見ました。雨が降っているというのに。
〈3122〉何と無情な雨であることか。いつもは人目を憚ってなかなか逢ってくれないあなたに、今日こそは逢おうと思ったのに。
鑑賞 >>>
問答歌2組。3119は、旅立ち前夜の男の歌。3120はそれに返した女の歌。3119の「恋ひつつ行かむ」は、妹を恋い慕いながら旅行くのだろう。原文「恋乍将去」は、本によっては「恋乍将在」とあり、コヒツツアラムと訓むものもあります。「今夜だに」の「だに」は、せめて~だけでもの意。3120の「今さらに寝めや」の「や」は反語で、今さら寝られましょうか寝るべきではない。「新夜」は、新しく来る夜で、これから先の夜。「おちず」は、欠かさず。「見えこそ」の「こそ」は、願望の助詞。
男が興奮して言い寄ってきているのに対し、女は反対に思いを深め、今夜限りなのに、今さら宵から寝ても同じこと、それより別れてから浮気をしないように、と言っています。といっても、これは拒絶というわけではなく、「この夜は新鮮な緊張した心での二人の逢瀬が思われる」と、国文学者の小野寛は言っています。
3121は女の歌、3122はそれに返した男の歌。3121の「使ひを待つと」は、使いを待つとて。「出でつつぞ見し」は「ぞ+連体形」の係り結び。「降らく」は「降る」のク語法で名詞形。「に」は、逆接の意。この歌は巻第11-2681の重出歌です。3122の「雨にもあるか」の「か」は、詠嘆。「人目守り」は、人目を憚る意。「乏しき」は、心を惹かれる意。「今日だに」の「だに」は、最小限の願望を示す語。雨に妨げられて外出できない嘆きをうたっており、雨には天の強い呪力が宿っているとされ、雨に濡れることは禁忌とされました。そのため、男女の恋愛生活においても、雨の降る夜に男が女の許を訪れることは基本的に避けられていました。
ただ、この問答歌は、女の歌では人目を憚る必要のないふつうの夫婦関係のように見えるのに、男の歌は「人目守り乏しき妹」とあって状況が異なっています。関係のない別々の歌を組み合わせたものではないかと見られます。

『万葉集』は誰が書いたのか
『万葉集』の歌は、漢字の音や訓を利用して日本語を書き表すために利用された万葉仮名で書かれています。そして、『万葉集』は本当に日本人が書いたものなのかという疑問が提起されています。現代の私たちが使用している平仮名は平安時代に成立した文字ですが、そのころの平仮名には、長らく濁音を表す文字がありませんでした。ところが『万葉集』には「泥(で)」というような濁音を専門に表す万葉仮名が使用されています。また、この時代の母音の一部には2種類の発音があり、単語ごとに明確に使い分けられていました。この2種類の発音それぞれに使用された万葉仮名の中国音の違いは非常に微妙なものであり、日本人が簡単に区別できるものではないといいます。つまり、万葉仮名の使用者たちは、とうてい日本人とは考えられない状況が確認できるというのです。
『万葉集』に収められているものの大半は和歌であり、もちろん日本語で作られています。しかし、その日本語を表記するのに用いられたのは漢字を基にした万葉仮名であり、国語学者たちの研究成果からすれば、万葉仮名を使用できるのは中国の漢字音を熟知した人物であった可能性が高いとされます。そうしたことから、編者のなかに、中国人とまでは言わなくとも、渡来系の人物や渡唐経験者がいたのであろうと考えられています。
⇒『万葉集』掲載歌の索引
⇒【為ご参考】三大歌集の比較