夕飯を一人で食べに行こうということになり、さて、何を食べようかと考える。心躍る時間だ。
昔から「好きなものを食べる権利」を行使することに関しては強欲で、特に社会人になりたての頃、独り暮らしをしていた時は、食べるものを選ぶ時間がなににも増して幸福な時間だった。外回りの営業の仕事をしていた時の昼食もそうだ。今日は〇〇町に行くから、あそこでラーメンを食べよう、とか。美味しいものを食べている時間はもちろん、食べるものを決めるまでの時間もまた楽しかった。
と、有意義なひとときであるにも関わらず。18時を過ぎ、さてそろそろ、と思う頃になっても、どうも「これだ」という食べ物が思いつかない。食べたいものはいくつも頭に浮かぶ。しかしどれもが決定打に欠ける気がする。このままでは夜になってしまうので、とにかく家を出る。そば屋にしようか、気になっているパスタ屋にしようか、いや、カレーが食べたい気分だ。ただインドカレーはなんとなく違う気がする・・・。こうして迷い続け、最終的にたどり着いたのは、自宅の最寄りのセブンイレブンだった。カップラーメンとシュークリームだけを買い、すぐ帰宅し、残っていた米を炒めて卵チャーハンをつくり、ラーメンと一緒に食べた。なんだかなあ、とため息が出たけれど、同時に、そんなもんだ、と納得もした。
昔、テレビで、誰だったかミュージシャンが、外食することが無上の喜びなのだけれど、この店は違う、ここじゃない、と街をさまよい続け、歩き疲れて、結局カップラーメンを買って食べたりするんです、なんて話をしていた。だから食べることは好きだけれど、いわゆる「グルメ」ではないんです、と。その時は「そんなわけあるか」と画面に向かって突っ込んでいたけれど、今はその気持ちが分かる気がする。外食自体は好きだ。美味しいものを食べたいという欲はある。ただ、自分で店を選んで食べる以上、「この店のこの料理を選んで大正解だった」と満足したいという想いが強く、その時々の決定的な「この店!」が思い浮かばない場合は、無闇に行って失敗したと悔やむより、確実に美味しく安心できるカップラーメンなどに手を伸ばす方が良い、と思うのだ。
いま住んでいる街の在住歴は通算すると14年にも及ぶ。それなのに、大好きな行きつけの飲食店、というのはほとんどない。それはなんだか寂しいなあと思う反面、そういった部分に喜びを求めなくなった、言い方を変えると、ここぞという行きつけのお店がなくてもそこそこ快適に暮らせる人間になった、とも言える。それは端的に良い変化だと思っている。