休日、効果的に休むための一つの方法として、「サードプレイス」を持つことが重要だという。自宅でも仕事場でもない「第三の居場所」。そんな位置づけの場所が心のよりどころになり、また例えば仕事で行き詰まったり、プライベートで慌ただしかったりした時の「逃げ場」にもなる、というものだ。自分なりのサードプレイスを持つ。その重要性はよく分かる。私も以前は、自分にとってのサードプレイスはここです、と言いたくて、そんな場所を探し求めていた。ただ今は、それほど貪欲に求めていない。逃げ場を求めて外へ行こうとするより、自宅にこもって寛いでいた方がよほど自らに逃げ場を与えることにつながると思っているからだ。以前よりずっと、自宅で過ごす時間の「居心地」が良くなったとも言える。
自分にはもはやサードプレイスは必要ないのかもしれない。そう思う決定的なことが今日、あった。大好きで通っているカフェに、1時間もゆったり過ごすことができなかった。自宅近くのそのカフェは、8年前にオープンするその前から応援している、私にとって特殊な存在。休日はどこで過ごしているの?とかそういった類の質問を受けたら、とりあえずここを挙げる。オープン当初は毎週末顔を出して、おいしいコーヒーを飲んでいた。最近は毎週末とまでは言わないけれど、それでも定期的に行っては、何をするでもない時間を過ごしている。自営業でも月に一度出張本屋をさせてもらっている、大事なカフェだ。
以前なら、カフェで過ごす1時間や2時間なんて短い方で、のんびり過ごすのが何にも増して貴重な時間だった。それが今は、30分くらい経つとそわそわしてきて、そろそろ席を立たなければ、と焦ってくる。決して居心地が悪いとかそういうことではない。むしろ逆で、居心地は良い。コーヒーもスイーツも美味しい。ひとりで入って、本なんか読みながらコーヒーを飲めたら最高だ。それでも、30分もいれば結構な時間である。20分でも十分。そう思えるくらい、昔から比べたら短い時間の滞在で心を落ち着かせられるようになった。自分はこの変化を成長だと思っているのだけれど、他人からは退化に見えるかもしれない。
今日は比較的空いていて、多少ゆっくりしていたい事情もあったので、80分くらいは居たけれど、席を立つ時の心境は、数年前までのような、「もっと長居していたいけれどそろそろ・・・」でもなければ、「長居しすぎたな。もうそろそろ行かないと・・・」でもなかった。どうも文字にすると「店に不満がある」ニュアンスに捉えられそうで怖い。きちんと伝わっているだろうか。端的に言うと、「パッと飲んで、深呼吸して、20分からせいぜい30分くらいぼーっとしたら、もう満足」。サードプレイスがまったく不要になったわけではなく、サードプレイスで過ごすべき時間を圧縮できるようになった、ということだろうか。
職場では緊張しっぱなしだし、自宅だとその反動でついダラダラしてしまう。その中間としての「第三の居場所」が暮らしにメリハリをつける上で必要であることは否定しない。ただ自分にとっては、サードプレイスでの時間は、第一、第二、第三と居場所を三分割したうちの1/3にはなり得ないようだ。そしてそのことを前向きに捉えている。そこまで「逃げ場」を必要としない、どちらかというと健全な暮らしなのだろう、というように。
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