少子高齢化による労働力不足が深刻化するなか、日本社会は今、外国人労働者の受け入れをめぐって大きな転換点を迎えている。
この問題は単に労働政策の一環ではなく、日本という国の在り方を問う社会的課題である。
■ 欧米の「移民問題」と日本の課題は本質的に異なる
まず指摘しておきたいのは、いまアメリカやヨーロッパで顕在化している「移民問題」と、日本の外国人問題とは性質が根本的に異なるという点である。
欧米では、長年にわたり大量の移民を受け入れた結果、宗教・民族・階層間の対立が社会の分断を引き起こしている。政治的にも「移民排斥」や「ナショナリズム」の台頭が続き、国家統合の根幹が揺らいでいる。
一方、日本は、歴史的に移民社会を形成してこなかった。外国人の受け入れも近年になってようやく本格化したにすぎない。
したがって、日本の課題は「移民社会の統合」ではなく、多文化共生の基盤を一から築くことにある。
すなわち、文化的慣習や言語の違いを超えて共に暮らす「社会の作法」を、いま私たちは新しく創り上げなければならない。
■ 「外国人に慣れていない」社会の現実
日本人が外国人に対して心理的な距離を感じやすいのは、島国という地理的・文化的背景に由来する。
古来、外界との接触が限定され、独自の文明を発展させてきた日本では、「異なる文化と共に生きる」経験が乏しい。
さらに、海外経験を持たない国民も多く、言語・宗教・肌の色の違いに無意識の違和感を抱くことは少なくない。
しかし、もはや国際社会の中で「異文化への不慣れ」は通用しない。
外国人を労働力としてだけでなく、社会の一員として迎え入れる覚悟が求められている。
■ グローバル化とAI化がもたらす新しい現実
現代社会は、グローバル化とAI技術の進展によって急速に再構築されている。
単純労働の多くはAIやロボットに代替されつつある一方、人間には創造性や他者理解がより強く求められる時代となった。
この流れの中で、外国人との共生は避けられないどころか、日本社会の持続的成長の条件となりつつある。
AIが言葉の壁を越える時代にこそ、人間に残されるのは「共感」と「理解」である。
異なる文化を学び、共に働く経験こそが、日本社会の創造力を高めるだろう。
■ 政策は「共生文化の創造」へ
政府や自治体、企業は今後、外国人受け入れを単なる労働政策ではなく、社会文化政策として捉え直す必要がある。
まず教育においては、国際理解や多文化共生を体系的に教える仕組みが不可欠である。
英語教育に偏るのではなく、異文化理解教育を義務教育段階から充実させ、子どもたちが自然に多様性を受け入れる環境をつくりたい。
企業においても、外国人の労働力を「一時的な補充」とみなすのではなく、キャリア形成・生活支援・日本語教育を含む総合的な受け入れ体制を整備することが求められる。
また、地方自治体は地域コミュニティの中で外国人が孤立しないよう、相談窓口や交流の場を常設し、地域社会での共生モデルを築くべきだ。
加えて、AI通訳や多言語支援アプリなど、テクノロジーを活用した「共生支援システム」の構築も進める必要がある。
テクノロジーは人間の隔たりを深めるものではなく、異なる人々をつなぐ手段として使われるべきである。
■ 開かれた社会へ踏み出す勇気を
結びとして、日本社会は、これまで長い間単一的な文化の中で秩序を保って生活してきた。
しかし、その安定は同時に、外に開くことへの不安を育ててもきた。
今、我々が問われているのは、「異なるものを排除して守る日本」ではなく、「違いを受け入れて共に成長する日本」をどう築くかという問いである。
欧米のような移民問題を回避するためにも、早い段階で共生の基盤を整え、開かれた社会の作法を自ら育てていくことが重要だ。
グローバル化とAI化の波が押し寄せる中、日本が取るべき道は明らかである。
それは、他者を恐れず、嫌悪せず、他者を理解し、他者と共に未来を創る社会である。
日本における外国人問題を、「未来への進化」の世界的モデルと捉え、国民的課題として進めたらどうだろうか。
その挑戦こそ、次の時代の日本を形づくる礎となるに違いない。