今週のお題「自分で作った人格陶冶の記録(ライフログ)」
2025年9月8日は魚座で皆既月食があった。
その日はブログ開設20周年の節目の日でもあった。
脳内作業用BGMにはカーペンターズの青春の輝きI Need to Be in Love(1976年)が流れていた。
TBS系TV番組「学校へ行こう」でも使われていたのがまだ印象に残っている。
乙女座の季節、2005年9月8日の昼下がり、
月は魚座に抱かれて、そんな天の気のせいか、
ふと思いついたように、今の自分の心を捉えるものを活写すべく、
初めてブログなるものを開設し、記事を投稿した。
タイトルは「近頃の若者ですが何か。」
知恵も足りない、経験も足りない、愚かさ、お馬鹿さ、どうしようもない。
前途洋々?いえ、前途多難。暗中模索。若いってだけ、まだ時間があるってだけ。
So what?
賢くなることを希い、大学に通う。4年も学んで、いったい何が齎されるのか?
人それぞれに得るものは違うし、何を得たかと同時に何を失ったか分かるのはだいぶ後になってからだ。
大人たちは他人事みたいに、「いいねえ、青春だねえ」と茶化す割には、
自分らのこととなると、「あの頃何してたっけ?何考えてたっけ?もう忘れた」だって。
儂が見聞きした中年期真っ只中の当時の大人たちはそんな感じ。
いつの間にどうやって内面的にも成熟してすっかり大人になったのか、もう覚えていないみたいだった。
ならば大学時代の実況中継でリアルタイムで記録を取れば、成長の軌跡が見えてきて、
後年振り返って、いったいいつ自分が大人になったのか、
その瞬間を捉えられる日が来るかもしれない。一方で未熟なまま死ぬかもだけど。
当面は大学卒業まで続くかな、続いたらいいな。あんまり期待しないでおこうという淡い思いを胸に。
明日には他の事に興味が移って書くのを放り出してしまうかもしれない。
分かりやすい外形的な報酬(お金や地位、表彰など)は何も用意されていない。
ただ膨大な時間を無駄にしただけの報われない努力になるかもしれない。
それは賭けだから。
いい歳こいていい加減諦めがつくはず(恥)のところを
自分はどこまで先送りし続けてやめられないか(意地・維持)ってことだから。
決して褒められたもんじゃない。若気の至り。
当時開設したのは、はてなブログに移る前のブログサービス(2014年サ終)であった。
初めの頃は記念日に対する意識があった。何周年続いているか気にかけた。
2006年の同日は魚座で部分月食があるという日で、1周年を祝った。
2007年の同日は、2周年だが祝うよりは寧ろ呪われた。
(運営会社の挙動が…不審で、ユーザーが不信、おそらくブログサービス事業も不振。それでもなんとか続けていこうと縁の下の力持ちが腐心する姿も推察する)
いずれそう遠くない日にブログが消滅し、失われてしまう不安と恐怖に囚われた。
危機感を抱いたが、当時はブログを支える技術的な背景には詳しくなかった。
「MT形式やその他の形式でエクスポートする機能はない。
ということは、つまり、今まで書いた記事のデータを一括保存して他のブログサイトに引っ越すことが出来ない。
最悪の場合、自分で手作業で記事をコピペすることになる。
とにかく、自分が納得できるバックアップ手段を探して、
それを実行することが急務だ。」
「さあ、大事なブログならバックアップをとっておこう。」
「追々記 2007年9月8日。本日、二周年。
ブログの1年=リアルの10年という換算じゃから、儂の生きてる年数に近いな。」
2008年同日、3周年。留まって去るものたちを見送るうちに、
落ち着きが出てきて、変わらないものと変わりゆくものを見つめようとする。
大学を卒業して、あれやこれやで記念日に祝うどころではなかった4~8周年。
その間の思い「生き延びる。なりふり構ってられない」
2014年同日、9周年は予期していたサービス終了のお知らせに持ってかれた。
その間の思い「生き延びた。生き延びてしまった。27club入りそびれた」
もうね、祝うどころでなくて。いつかやってくる別れは回避不能。
寂しさもあるけど、終わりを全うすることに思いを馳せる。
サイト消滅後は難民と化し、移行先をそれぞれに探し、散り散りになった。
2015年10月2日に星食、アルデバラン食が起こる前日、新たな出発。
はてなブログに移行。気づくと10周年を過ぎていた。
2025年4月14日、今度はgoo blogが終了するお知らせが来たから、またかと思った。
インポートして過去記事置き場として5000日余りの繋ぎの役目を終えた。エクスポート作業を終えてみて、全部が全部そのままの形で残すことにもはやあまり意義を感じなくなった自分を見つけた。
アルバムの写真を吟味するみたいに、折々に気まぐれに心を写した「若気の至り(記事)」をインポートしようかな。
記事を読み返して思い巡らし記憶を旅する。
記事中のURLからゼロ年代インターネットを追体験する。
リンク切れは多いだろうね。逆にまだリンク有効でサイト残ってたら驚きだけど。
大丈夫、我々にはインターネットのタイムマシン、アーカイブがあるから。
記録の断片(2005年9月)
メモ帳のtxt.ファイルから記事をインポートするほどでもないものの抜き書き。
DATE: 09/09/2005 02:52:00 AM
(思わぬところで何か似た属性の人を見つけたシチュエーションにおいて感じること)
ちょっとうれしい。たぶん面識ないだろうけど。いやー、なにか得した気分。
「なにがどのように」と聞かれると、合理性のある回答は望めないけど。
敢えて書くなら、「共有可能な情報を持っている可能性が高い人に対する親近感。」(28字)
DATE: 09/11/2005 04:28:00 PM
使用人でも自分は自分のご主人様でありたい。
思いは大きく、やることちっちゃく?小心者の定義?
DATE: 09/11/2005 10:31:00 AM
私は「ゲーム→本」だったけど、「本→ゲーム」でも面白いと思う。
ゲームで人格形成してる気がする。
DATE: 09/13/2005 12:03:00 AM
(ネーミングセンスの有無による非対称性に気づいてしまったとき)
得なのは、覚えてもらったらなかなか忘れてもらえないこと。
だが一方、こっちが覚えていないことが多い。気まずっ。
小さい頃から、「名前ってフェアじゃない。」という人生の真理を悟ってしまった。
DATE: 09/14/2005 01:01:00 PM
(味覚は保守的傾向があると気づいて)無難な食べ物がいいです。
もし、新作を出すなら、ちょっぴりで。マンネリメニューに飽きないように、
ちょくちょく外食するのも工夫のひとつで。
脳内BGMは安室奈美恵のYou're my sunshine(1996年)が再生される。
青春が終わって朱夏、続く白秋。絵日記…いや、記事を眺めて微笑む。